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■メニューの一例佐久ホテル※令7年春 ・鯉フルコース恋(レン)コース5700円 ・旨煮あらい御膳3000円 ・鯉こく鯉あらい御膳3000円 ・鯉カツ御膳2000円 ・鯉からあげ850円 ・温泉水珈琲350円 ・鰻重2800円〜5000円 ・サクサクのフライ御膳1800円 ・ひれかつ御膳2000円 ・ロースカツ御膳2000円 ・蟹クリーム鶏から御膳1550円 ・宴会コース4500~小鉢.信州サーモン昆布〆.鯉か鰤の旨煮.蓼科豚焼.海老天.うどん.デザートは200円UP ・フリードリンクは2000円 ・素泊6800円〜. 半泊8300円〜. 本泊11800円〜. 片泊9800〜. ■ドリンク料金令和7年春 生ビール900 瓶ビール850 ノンアルビール650 ハイボール700 レモンサワー700 梅酒700 ワイングラス700 ワインボトル2200 純米吟醸3600 一合清酒650 焼酎グラス700 焼酎ボトル3600 角瓶ボトル3000 水割セット300 ジュース類500 ホット烏龍ポット1200 珈琲400 炭酸水500 天茶グラス500 天茶ピッチャー1200
■メニューの一例佐久ホテル※令7年冬 ・鯉フルコース恋(レン)コース5700円 ・旨煮あらい御膳3000円 ・鯉こく鯉あらい御膳3000円 ・鯉カツ御膳2000円 ・鯉からあげ850円 ・温泉水珈琲350円 ・鰻重2800円〜5000円 ・サクサクのフライ御膳1800円 ・ひれかつ御膳2000円 ・ロースカツ御膳2000円 ・蟹クリーム鶏から御膳1550円 ・宴会コース4500~小鉢.信州サーモン昆布〆.鯉か鰤の旨煮.蓼科豚焼.海老天.うどん.デザートは200円UP ・フリードリンクは2000円
■佐久ホテルが東信さんぽに!(後編) ◎信州最古の宿&鯉料理発祥の宿「佐久ホテル」宿泊レポート【後編】 ◎今回は、驚異的な歴史を持つ「佐久ホテル」の実態に迫る宿泊レポート後編をお届けします。 室町時代に創業した佐久ホテルは、鯉料理のほかにも、受け継がれてきた文化や財産があります。 なかでも“温泉”と宿名物の“甘茶”は、佐久ホテルを語るうえで欠かせないポイント。 温泉と甘茶、いったいどんなものなのか、さっそく見ていきましょう! 歴史上の人物も浸かった 開湯600年の温泉「旭湯」 前編でも触れましたが、約600年の歴史を誇る佐久ホテルには、数々の歴史上の人物が宿泊してきました。 そのうちの一人が、各地に隠し湯を持っていたことで知られる、戦国武将・武田信玄。 武田信玄は佐久ホテルの温泉にも浸かり、なんと謝礼の掛軸もちゃんと残っているのです。 しかもその掛軸、長さ1尺(約30センチ)・太さ1寸(約3センチ)の水晶の一本棒が軸に使われているそう。 木や陶器などではなく、水晶の軸。これはかなり珍しいのではと思い、個人的に調べてみると、武田信玄が治めていた地・甲府は、水晶の産地だったそう。 だから水晶の軸なのかと納得したのでした。それにしても貴重すぎます!(お宿のホームページに写真が載っています) 話が逸れましたが、そんな水晶軸を覗くと旭(朝日)が美しく見えることから、「旭湯」という名前がつきました。 武田信玄のほかにも、若山牧水、島崎藤村、北原白秋、葛飾北斎などなど……数々の文人墨客もこの湯を愛したそう。 そんな温泉、入りたいに決まってる! 鯉料理で満腹になったところで、温泉へと向かいました。 4人ほどが入れる浴槽に、温泉のお湯が勢いよくこんこんと湧き出しています。 な、なんと、この浴槽のほぼ真下、地中約1メートルに源泉があるそう。 源泉と浴槽がここまで近い温泉は非常に珍しく、源泉から蛇口まで数秒で温泉水が到達するとか。 そのため常に新鮮すぎる大地の恵みを直で浴びまくっているのです。なんだかもう、いろいろとすごすぎます! そして温泉の主成分はメタケイ酸。メタケイ酸は保湿効果があり、天然の化粧水として美肌効果が期待できます。心なしかお肌がツルツルになったような気が……! 温度もほどほどに熱く、体の芯までしっかりと温まります。天然温泉ゆえ、日によって白や黄金色など色も変化するそうです。 貴重な温泉に浸かることができ、心も体もしみじみと満たされました。 ちなみに宿泊者が少ない空いているときには日帰り入浴も可能ですよ! 偉人たちも愛した湯を、ぜひご堪能あれ。 宿名物の甘茶をいただく もう一つの特徴でもある「甘茶」。ホテルに入ると、まずこの甘茶をお召し上がりくださいという看板が目に入ります。 仏教と関わりの深い飲み物・甘茶ですが、佐久市では昔から神事でも御神酒の代わりに振る舞われ、甘茶を飲む風習がありました。 ※神仏にお供えする場合には“天茶”と書くそうです。 そんな甘茶を、佐久ホテルでは江戸時代より製造しており、宿で提供するほか、200年以上にわたって地元の祇園祭でも振る舞っています。 甘茶はどのように作られるかというと、原料のアマチャの木から摘み取った葉を陰干して揉み込み、じっくりと発酵させた後に乾燥させ、ようやく茶葉が完成。 気候条件等により栽培が難しく、昨年は生育不良であまり収穫できなかったそう。 滞在中にありがたく何杯もいただいてしまいましたが、そのお味はと言うと、名前のとおりとにかく甘い! けどごくごく飲めておいしい。 砂糖が入っていないのに、砂糖の200倍というこの甘さ。昔から自然の甘味料として重宝され、糖分制限に役立つほか、抗酸化作用などもあり、健康にも良いそう。 そんなおいしい甘茶を求め、学校帰りの小学生が毎日飲みに来るんだとか……(現当主から始まり、もう50年も続く光景)! 歴史があるからといって近寄りがたさを感じさせず、地域とともに歩み、地域に根ざしているところがとても素敵だな〜としみじみしたエピソードでした。 甘茶を製造販売しているところも少なくなっており、佐久ホテルの甘茶は全国の寺院から注文があるほか、近隣の病院や神社にも納めています。 代々受け継がれてきた宿名物、これはおみやげにぜひ押さえておきたい一品です。 1袋750円(9g入り)で、約50杯分も飲めます。宿泊しなくてもお宿に行けば購入できますし、通販も行っていますよ! 見応えがありすぎる館内 今回は書ききれませんでしたが、佐久ホテルには他にもさまざまなお宝が展示されています。 このようなマップを配布していて、宿の至る所に展示されてある貴重な文献や資料などを探し歩けるようになっています(※文献はコピーです)。 ぜひ実際に訪れて、佐久鯉料理、温泉、甘茶、展示資料など、奥深い佐久ホテルの歴史を存分に味わってみてください! 住所長野県佐久市岩村田中山道今宿553番地 営業時間日帰り入浴/16:00〜21:00 ※空いている時だけ可 定休日無し HPhttp://www.sakusaku.co.jp/ 備考日帰り入浴700円 https://toshin-sanpo.jp/archives/sakuhotel2.html 2024年08月02日
■東信さんぽに「佐久ホテル」 〇信州最古の宿&鯉料理発祥の宿「佐久ホテル」宿泊レポート 【前編】東信偏愛女子チームのひなぽんです。 ◎とんでもない歴史を持つ宿を発見してしまいました!!! 長野県でもっとも古い老舗で、室町時代から続く温泉宿が、なんと東信エリアの佐久市にあったのです。 名だたる歴史上の人物が宿泊し、貴重な資料も数多く残る、宿そのものが博物館のような場所。 しかも佐久市の名産である、“佐久鯉”料理もこの宿が発祥と言うではありませんか! 今回はそんな驚異的な歴史的エピソード連発の「佐久ホテル」をご紹介。とても一つの記事におさまらないため、前編・後編でお届けします。 佐久ホテルの歴史:創業はなんと室町時代の正長元年(西暦1428年、あと4年で創業600年)!現在の当主は19代目です。 宿がある岩村田という地は、古くから数々の街道が交わる交通の要衝であり、江戸時代には中山道の宿場町、また岩村田藩の城下町として栄えました。 そんな佐久地域の中心に宿を構えてきた佐久ホテルには、足利将軍をはじめ武田信玄などの戦国武将、岩村田藩主、諸国大名、近代では文人墨客、皇室関係、首相や大臣など……錚々たる方々が宿泊しています。 そんな由緒あるお宿なので、礼状や書状など、貴重な文献が2万点も残っているのだとか(現在も調査を続けており、そのたびに新たな発見があるそう)。すごすぎます……! こんなにすごい歴史を持つのに、意外と知られていないのは、先代まで家訓として歴史を公開しておらず、現当主になってからようやく“歴史を残したい”という強い想いで、公開を始めたからだそう。まさに英断です。 いざ佐久ホテルへ! そんな唯一無二の歴史を誇るお宿が東信エリアにあるならば、ぜひとも宿泊せねば。 と、謎の使命感に駆られ、半ば興奮気味にお宿へ向かいました。 さっそく中へ入ると、入り口から老舗の雰囲気がぷんぷんと漂っています。 玄関脇には鯉が泳ぐ石造りの池があり、飲む温泉、ホテル名物の甘茶(記事後編で紹介)でお出迎え。こういったサービスがとても嬉しい! ほかにもロビーには温泉水で淹れたコーヒー、手作りのよもぎ焼酎も自由に飲めるようになっています。 一人用のシンプルな洋室は、歴史を感じますが、ゆっくりと快適に過ごせました。 夕食は宿名物・鯉料理のフルコース 今回楽しみにしていた一つ。佐久鯉料理発祥の宿で、鯉のフルコース会席料理を味わうこと。歴史上の偉人たちと同じ味を堪能できるなんて、貴重な体験にわくわくが止まりません……! 宿の文献によると、慶安元年(1648)10月19日に鯉料理を小諸城主に献上しており、これが佐久鯉の一番古い記録だそう。延享3年(1746)には、伊勢神宮にも鯉料理を献上しています。 さて、個室に案内され、さっそく料理が運ばれてきました(取材だから個室というわけではなく、みなさん個室でのお食事だそうです)! 今回いただいたのは、佐久鯉会席料理「恋(れん)」。 鯉料理の定番である「鯉こく」(味噌汁)、「旨煮」(煮込み)、「洗い」(刺身)が揃うだけでなく、鯉の唐揚げや南蛮漬け、鱗の煎餅など、みごとな鯉尽くし! 鯉料理に使われているタレは、創業以来の継ぎ足し。醤油:酒:砂糖を1:1:1で継ぎ足し続けています。また、鯉は地元農家さんが育てており、佐久鯉は冷たい流水で飼育されるため成長が遅く、3年かけて育てられた後、出荷されます。それだけに臭みもなく、身が引き締まり、適度に脂肪が乗ったおいしい肉質になるそう。 10_koikoku 筒切りにされた鯉は、珍しく卵入り。春から初夏にかけてのたまにしか見られないそうで、ラッキー! 鯉は魚の中でも薬効が多く、タンパク質やビタミンなど、とにかく栄養豊富だそう。あらゆる病気予防にも繋がり、佐久で鯉を食べていたお年寄りはみんな元気だとか。 また、母乳の出が良くなることから、妊婦や出産後のお嫁さんに鯉を送る風習もあるそうです。 初めてじっくりと味わった本物の鯉料理は、独特のクセもなく、本当に美味しかった……!鯉の滋養強壮が襲い来るかのごとく、パワフルでものすごい食べ応えがあり、元気が漲りました! 佐久ホテルでは宿泊者以外にも、伝統の郷土の味を堪能してもらうべく、日帰りランチやディナーで鯉料理を食べることができます。 コース料理だけでなく、旨煮や鯉こくの御膳のほか、単品で頼むこともでき、テイクアウトも可能。 今や佐久市内で佐久鯉料理を味わえるお店は限られています。ましてその発祥の場所で、当時と変わらぬ味を楽しめるなんて、本当に貴重で贅沢な体験。 ぜひ歴史や文化を感じながら、本物の鯉料理を堪能してはいかがでしょう♪ ☆おまけ☆ 鯉の会席料理の下に敷いてあったシート。佐久の方言が一覧で書いてありました!!聞いたことないものばかり。こんなところも伝統ある老舗らしさを感じますね。 佐久ホテルの奥深さはまだまだこれから。後編は次週(2024年8月2日の記事)へと続きます。 住所長野県佐久市岩村田中山道今宿553番地 営業時間ランチ/11:30〜14:00(LO) ディナー/17:30〜20:00(LO) ※予約推奨 定休日無し HPhttp://www.sakusaku.co.jp/ 備考宿泊は平日1泊2食付き11,600円〜(2名で宿泊した場合の1名あたりの金額)※鯉の会席料理は追加料金がかかります 2024年07月26日 https://toshin-sanpo.jp/archives/sakuhotel.html
・鯉うま煮&あらい御膳3000円 ※小鉢.サラダ.漬物.温泉水御飯.椀物・水物がつきます。天茶、よもぎ焼酎、冷鉱泉の試飲 ・鰻重(国産)5000円 ・さくさくフライ御膳1800円 ・ロースかつ御膳2000円 ・牡蠣フライ御膳1550円 ・単品として旨煮、あらい、鯉こく、鯉唐揚はどれでも1500円
■テレビ信州ゆうがたゲットに佐久ホテルの佐久鯉料理 マンモウ飯田 氏も来館して佐久鯉料理を満喫!佐久鯉古文書、温泉、歴史、鯉料理…放送予定1/10/15:50〜
終戦近く、長野牧場周辺で「海軍岩村田飛行場」建設がありました。 その企画展が、臼田文化センターで12月3日まで行われています。 飛行場の建設作業に従事した若者約200名は佐久ホテルに宿泊しました。 今回の企画展では、佐久ホテルから提供させて頂いた当時の資料や写真なども みることができます。 佐久市臼田文化センター0267823634
佐久市立岩村田小学校の4学年では「岩村田用水をひいてきた偉人 篠澤源左衛門」 という 授業を行ったそうです。源左衛門は佐久ホテル篠澤家の先祖で江戸時代初期に 用水開発を行いました。 ■佐久市立岩村田小学校4学年「岩村田用水をひいてきた偉人・篠澤源左衛門」単元展開案より 地域の発展に尽くした先人は様々な苦心や努力により当時の生活の向上に貢献したことを理解すること。当時の世の中の課題や人々の願いなどに着目して地域の発展に 尽くした先人の具体的例を捉え先人の働きを考え表現すること。「町の長として発展を願い自らの生涯をかけ私財を投げ打ちながらも水獲得に深刻な問題を抱えている岩村田に用水をひいてきた篠澤源左衛門そして後世の人々からもその偉業を成し遂げた源左衛門の名を何としても残そうとしている地域の誇りとされる篠澤源左衛門。地域の人々の思いを考えることで間接的に源左衛門の行った価値に焦点が当たってくるだろう」 ■佐久市立岩村田小学校4学年「岩村田用水をひいてきた偉人・篠澤源左衛門」 授業展開 用水開発 Q この二つは昔の(みんなが生活している)岩村田地区の地形図。それぞれの色を塗ってみてどんなことが分かるかな? ・1500年頃は岩村田地区は茶色しかない。 1700年頃は茶色じゃなくて緑なの? ・200年の間にこんなに変わったんだ? 畑が田んぼになったんだ? Q なぜこんなに岩村田地区に田んぼができたのかな? Q 田んぼが作られるようになったのは川が岩村田に流れるようになったのかな? Q 1700年頃になってなぜ岩村田に川が流れるようになったのかな? Q岩村田まで誰が川を作ったのだとうか? 先生:用水を作った篠澤源左衛門(資料) Q なぜ篠澤源左衛門が岩村田地区に用水をひくことになったのかな? Qその当時、篠澤源左衛門にとって用水をひくことは必要だったのか? Q 篠澤源左衛門はどこから水を引いて川を作ったのかな? Q 篠澤源左衛門はどうやって岩村田地区に用水をひいてきたのかな? Q 篠澤源左衛門たちは火山灰の土に水を通すために道を変えるなど工夫をしたの? Q篠澤源左衛門は川を作るためになぜ自分の生活ができなくなるくらいのお金 まで使ったのかな? Q 篠澤源左衛門は自分が生活できなくなるくらいのお金を使ったのはしかたなくだったのかな? Q 岩村田(篠澤)用水が完成した後は岩村田の人々の生活は本当に楽になったのかなな? Q岩村田の人々が生活に使う水は確保できたのかな? Q 戦後「篠澤」の名前を残そうと大反対した地域の人々の思いって何だったのかな? Q 名前を残そうと大反対した人々が残そうとしたものは「篠澤」という 単なる名前だけだったのか? Q今の岩村田用水の役割ってあるのかな? ◎今まで学習したことから篠澤源左衛門に手紙を書こう!
https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2022122200242サスペンス? 鮮魚売り場が真っ赤 信州佐久で数百年愛される年取り魚とは年末に向かうこの時季、長野県内のある地域では、鮮魚店やスーパーの鮮魚売り場の一角が、鮮やかな赤色で染まって見えるのをご存知だろうか。その正体は、コイの輪切り。真っ赤な血もそのままにトレーで売られている。まるでサスペンスのような強烈な見た目に、またコイを食べる文化に驚く県外出身者が後を絶たない。長野県でコイはいつから食べられているのか、なぜ血を洗わないのか、売り方や調理方法について調べた。◎コイって食べられるの? 食べたらおいしかった!舞台は、佐久市を中心とする佐久地域。特産品に「佐久鯉(ごい)」がある..................................
「きょう1月6日は佐久鯉誕生の日」1746年1月6日に 篠澤佐吾衛門包道 ささざわさごえもんかねみち が伊勢神宮の福島神主へ佐久鯉料理を献上したという記録が 見つかった。 これが発見当時、佐久鯉の最古の記録であったことから1月6日を佐久鯉誕生の日と制定し、日本記念日協会により認定・登録された。 【佐久鯉をもっと多くの人に】 佐久地域で鯉を食べる習慣は続いているが、以前に比べ日常的に食べる機会は減っている。背景には下処理や調理の難しさにも一因があるようだ。鯉は骨が多く調理の際、苦玉(胆嚢) をつぶしてしまうと全体に苦味が移ってしまい食べられなくなってしまうという。 学校給食などでは食べやすく唐揚げにして提供することもある。篠澤さんが小学生の頃は今よりもっと 身近で「夏が終わると水をはったプールに鯉を入れそれを釣って先生が学校で鯉こくを作ってくれたこともありました」と振り返る。 【佐久鯉が全国的に有名になった背景】 まず一つ目は1966(昭和41年)に全国で鯉の切手が発行されたこと。そして二つ目は67年、歌手の橋幸夫さんが歌う”佐久の鯉太郎”が大ヒットしたことが挙げられる。この曲は毎年5月に開かれる 佐久鯉まつりの会場でGGMとして使っているため聞いたことがある人もいるのでは。1998年に開催された長野冬季オリンピックでイタリアの選手団が同ホテルを訪れた際、鯉料理をアレンジして 提供した。 篠澤さんは「鯉のアレンジの可能性は無限大だから今後が楽しみ。長野県だけでなく県外の方にもそして海外の方にも鯉の魅力を伝えていけるよう、もっと食べやすく鯉を 身近に感じる料理の研究が必要だ」と話す。 ■週刊さくだいら 佐久鯉記事より
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