佐久ホテルニュース

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【955】うな重(お持ち帰り、ランチ、ディナー)佐久ホテル
2024/6/15(土)16:50 - 佐久ホテル <saku@sakusaku.co.jp> - p1110002-ipngn2301yosida.nagano.ocn.ne.jp 削除

鰻重1700円〜4300円まで各種
テイクアウト、ランチ、夕食もやってます
佐久ホテル

【954】大女将葬儀
2024/4/3(水)09:26 - 佐久ホテル <saku@sakusaku.co.jp> - p1072226-ipngn1901yosida.nagano.ocn.ne.jp 削除

当館大女将篠澤千春が天寿を全う致して81年の生涯を閉じました。
ここに生前のご厚誼を深謝し謹んでお知らせを申し上げます。
偲ぶ会(本葬)は下記の通りです。

5/12/日 当館一階 10:30 弔問受付.焼香 

【953】満室状況
2024/4/3(水)09:24 - 佐久ホテル <saku@sakusaku.co.jp> - p1072226-ipngn1901yosida.nagano.ocn.ne.jp 削除

★佐久ホテル満室情報・料金(令和6年春〜) 下記のご宿泊のお部屋は すでに 満室です。
4/2 4/7 4/8 4/15 4/21 4/27 4/29
5/3 5/4 5/11 5/12 6/8 7月中旬〜8月下旬(団体予約のため)12/31
宿泊料金は平日は素泊が6800円、半泊が8300円、本泊が11600円、片泊が9800円です。
休日は素泊が7600円、半泊が9100円、本泊が12400円、片泊が10600円です。
年末年始(12/28から1/3は素泊が9600円、半泊が11100円、本泊が14400円、片泊が12600円です。
子供料金は平日素泊5000円で平日半泊が6000円で、休日素泊が6000円、休日半泊7000円
添寝料金は素泊1400円で半泊2200円です。
5/2から 5/6までは素泊8700円、半泊10200円、本泊13500円です。
※税サ込、休日とは土日や祭日や金曜や休祭日前日、盆などを含みます。
空満状況は常に変動しますので本表示と異なる場合があります。
なおお泊り以外のお食事、ご宴会の空き具合等はお問い合わせ下さい。



【952】■新メニュー(令和6年2月22日〜)主なメニュー※税サ込
2024/2/22(木)18:25 - 佐久ホテル <メール送信> - p1072226-ipngn1901yosida.nagano.ocn.ne.jp 削除


・鯉うま煮&あらい御膳3000円
 ※小鉢.サラダ.漬物.温泉水御飯.椀物・水物がつきます。天茶、よもぎ焼酎、冷鉱泉の試飲
・鰻重(国産)5000円
・さくさくフライ御膳1800円
・ロースかつ御膳2000円
・牡蠣フライ御膳1550円
・単品として旨煮、あらい、鯉こく、鯉唐揚はどれでも1500円

【948】テレビ信州に「佐久ホテル」登場
2023/12/27(水)16:13 - 佐久ホテル <メール送信> - p1023127-ipngn1201yosida.nagano.ocn.ne.jp 削除

■テレビ信州ゆうがたゲットに佐久ホテルの佐久鯉料理

マンモウ飯田 氏も来館して佐久鯉料理を満喫!佐久鯉古文書、温泉、歴史、鯉料理…放送予定1/10/15:50〜

【946】海軍岩村田飛行場の企画展(佐久市)
2023/11/11(土)07:55 - 佐久ホテル <メール送信> - p1023127-ipngn1201yosida.nagano.ocn.ne.jp 削除

終戦近く、長野牧場周辺で「海軍岩村田飛行場」建設がありました。

その企画展が、臼田文化センターで12月3日まで行われています。

飛行場の建設作業に従事した若者約200名は佐久ホテルに宿泊しました。



今回の企画展では、佐久ホテルから提供させて頂いた当時の資料や写真なども
みることができます。

佐久市臼田文化センター0267823634

【944】地元の小学生が地元の用水を学びました
2023/10/31(火)20:03 - 佐久ホテル <メール送信> - p1023127-ipngn1201yosida.nagano.ocn.ne.jp 削除

佐久市立岩村田小学校の4学年では「岩村田用水をひいてきた偉人 篠澤源左衛門」
という 授業を行ったそうです。源左衛門は佐久ホテル篠澤家の先祖で江戸時代初期に
用水開発を行いました。



■佐久市立岩村田小学校4学年「岩村田用水をひいてきた偉人・篠澤源左衛門」単元展開案より
地域の発展に尽くした先人は様々な苦心や努力により当時の生活の向上に貢献したことを理解すること。当時の世の中の課題や人々の願いなどに着目して地域の発展に
尽くした先人の具体的例を捉え先人の働きを考え表現すること。「町の長として発展を願い自らの生涯をかけ私財を投げ打ちながらも水獲得に深刻な問題を抱えている岩村田に用水をひいてきた篠澤源左衛門そして後世の人々からもその偉業を成し遂げた源左衛門の名を何としても残そうとしている地域の誇りとされる篠澤源左衛門。地域の人々の思いを考えることで間接的に源左衛門の行った価値に焦点が当たってくるだろう」


■佐久市立岩村田小学校4学年「岩村田用水をひいてきた偉人・篠澤源左衛門」 授業展開 用水開発
Q この二つは昔の(みんなが生活している)岩村田地区の地形図。それぞれの色を塗ってみてどんなことが分かるかな?
・1500年頃は岩村田地区は茶色しかない。 1700年頃は茶色じゃなくて緑なの? ・200年の間にこんなに変わったんだ? 畑が田んぼになったんだ?
Q なぜこんなに岩村田地区に田んぼができたのかな?   Q 田んぼが作られるようになったのは川が岩村田に流れるようになったのかな?
Q 1700年頃になってなぜ岩村田に川が流れるようになったのかな?  Q岩村田まで誰が川を作ったのだとうか?  先生:用水を作った篠澤源左衛門(資料)
Q なぜ篠澤源左衛門が岩村田地区に用水をひくことになったのかな?  Qその当時、篠澤源左衛門にとって用水をひくことは必要だったのか?
Q 篠澤源左衛門はどこから水を引いて川を作ったのかな?      Q 篠澤源左衛門はどうやって岩村田地区に用水をひいてきたのかな?
Q 篠澤源左衛門たちは火山灰の土に水を通すために道を変えるなど工夫をしたの?   Q篠澤源左衛門は川を作るためになぜ自分の生活ができなくなるくらいのお金
  まで使ったのかな?  Q 篠澤源左衛門は自分が生活できなくなるくらいのお金を使ったのはしかたなくだったのかな?
Q 岩村田(篠澤)用水が完成した後は岩村田の人々の生活は本当に楽になったのかなな?  Q岩村田の人々が生活に使う水は確保できたのかな?
Q 戦後「篠澤」の名前を残そうと大反対した地域の人々の思いって何だったのかな?   Q 名前を残そうと大反対した人々が残そうとしたものは「篠澤」という
単なる名前だけだったのか?     Q今の岩村田用水の役割ってあるのかな?    ◎今まで学習したことから篠澤源左衛門に手紙を書こう!

【943】信濃毎日新聞に佐久ホテルの鯉料理、鯉歴史など紹介
2023/6/9(金)18:43 - sakuhotel - p904055-ipngn4401yosida.nagano.ocn.ne.jp 削除

https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2022122200242サスペンス? 鮮魚売り場が真っ赤 信州佐久で数百年愛される年取り魚とは年末に向かうこの時季、長野県内のある地域では、鮮魚店やスーパーの鮮魚売り場の一角が、鮮やかな赤色で染まって見えるのをご存知だろうか。その正体は、コイの輪切り。真っ赤な血もそのままにトレーで売られている。まるでサスペンスのような強烈な見た目に、またコイを食べる文化に驚く県外出身者が後を絶たない。長野県でコイはいつから食べられているのか、なぜ血を洗わないのか、売り方や調理方法について調べた。◎コイって食べられるの? 食べたらおいしかった!舞台は、佐久市を中心とする佐久地域。特産品に「佐久鯉(ごい)」がある..................................

【942】週刊さくだいら 佐久鯉記事より
2022/5/22(日)18:56 - 轄イ久ホテル <saku@sakusaku.co.jp> - ff223-048.infoaomori.ne.jp 削除



「きょう1月6日は佐久鯉誕生の日」1746年1月6日に 篠澤佐吾衛門包道 ささざわさごえもんかねみち が伊勢神宮の福島神主へ佐久鯉料理を献上したという記録が
見つかった。 これが発見当時、佐久鯉の最古の記録であったことから1月6日を佐久鯉誕生の日と制定し、日本記念日協会により認定・登録された。

【佐久鯉をもっと多くの人に】
佐久地域で鯉を食べる習慣は続いているが、以前に比べ日常的に食べる機会は減っている。背景には下処理や調理の難しさにも一因があるようだ。鯉は骨が多く調理の際、苦玉(胆嚢)
をつぶしてしまうと全体に苦味が移ってしまい食べられなくなってしまうという。

学校給食などでは食べやすく唐揚げにして提供することもある。篠澤さんが小学生の頃は今よりもっと
身近で「夏が終わると水をはったプールに鯉を入れそれを釣って先生が学校で鯉こくを作ってくれたこともありました」と振り返る。


【佐久鯉が全国的に有名になった背景】

まず一つ目は1966(昭和41年)に全国で鯉の切手が発行されたこと。そして二つ目は67年、歌手の橋幸夫さんが歌う”佐久の鯉太郎”が大ヒットしたことが挙げられる。この曲は毎年5月に開かれる
佐久鯉まつりの会場でGGMとして使っているため聞いたことがある人もいるのでは。1998年に開催された長野冬季オリンピックでイタリアの選手団が同ホテルを訪れた際、鯉料理をアレンジして
提供した。

篠澤さんは「鯉のアレンジの可能性は無限大だから今後が楽しみ。長野県だけでなく県外の方にもそして海外の方にも鯉の魅力を伝えていけるよう、もっと食べやすく鯉を
身近に感じる料理の研究が必要だ」と話す。

■週刊さくだいら 佐久鯉記事より

【941】『長野に住みたいあなたの背中を押す本』
2021/3/23(火)19:53 - sakuhotel - fb196-187.infoaomori.ne.jp 削除

 ■『長野に住みたいあなたの背中を押す本』 
主催:長野県
"鯉料理ひとすじ600年の宿" 「佐久ホテル」と、
人が行き交う長野の歴史 SINCE 1428

豊かな自然と歴史的名所を有する長野県。
そこには、600年以上続く宿がある。
かつ ては江戸時代の大名たちをももてなしてきた
という宿「佐久ホテル」に、
長野の観光の歴 史について話を聞いた。
「やはり、古くから善光寺の影響力は大き かったはずです。
長野から全国へ"善光寺街 道"という
道が伸びていて、遠くは岡山にも
『この道をゆけば善光寺』
という看板が立っ ていたといいます」そう語るのは、宿の
19代目当主・篠澤明剛さん。この宿があるのは、
県東部に位置する佐久エリアだ。「古くから、
佐久は長野の交通の要所でした。
それは、江戸や京都まで続く中"山道"という街道があっ
たからなんですね」。交通機関もない江戸時
代、人々は街道を通って遠い街へと移動した。
「江戸時代の交通といえば、東海道の方が印
象的でしょう。ただ、あちらは道中にいくつ
もの河川が流れていて、雨が降れば渡れなく
なることもある。到着の日にちが読みづらい
から、『何日に着く』と約束のしやすい中山
道も多くの人に利用されました」。
その頃から、佐久では地元の料理として『鯉料理で人を

もてなしてきた。宿に残され た文献にも、
1648年に当時の小諸藩藩主 へ鯉料理を献上した
記録が残されている。当 時も今も、
佐久エリアには浅間山からの水系 が流れ込み、
ミネラル豊富な水で養殖された 鯉が名産となった。
次第に鯉の養殖は、佐久 エリア
の農家たちの仕事の一部となる。
県外 から来る人々へのもてなしが仕事を産み佐久

久の産業となっていったのだ。
時代が変わり、街道の利用者が減ってもな
お、佐久には多くの人が訪れる理由があった。
それは日本五大稲荷の一つ、鼻顔稲荷神社(は
なづらいなりじんじゃ)の存在だ。明治の頃
の日本では養蚕業が盛んで、蚕の守り神と
して知られるこの神社には全国から養蚕業
者が参拝にきたという。「最盛期には、佐久
ホテルの100畳の宴会場を解放し、畳1
枚につき1人が宿泊したといいます」。そう
した参拝は、養蚕業が下火になるまでのおよ
そ100年もの間続き、戦後までの佐久の
観光を支えた。
佐久の観光業の変遷と歴史を見守ってきた
『佐久ホテル』だが、新しいことをはじめる
のも早かった。
19代目当主・篠澤様いわく、
「明治
18年、宮内省から『天皇陛下が佐久に
お見えになる』とのことで、専用室を準備す
るようにとの連絡があったそうです。その当
時の
16代当主・篠澤佐太郎が新たに陛下専用

の別館を作り、その別館の呼び名を『佐久ホ
テル』としました。当時はまだ『ホテル』と
いう名称も一般的ではなく、おそらく長野県
初のホテルになったのではないか」という。
「特に、
16代当主の妻……つまり私の曽祖母
に当たる人がとても先進的で。彼女は洋食に
特に力を入れ、当時珍しかった西洋料理を食
べていただくためのレストラン『太平楼』ま
で作りました」。宿として長く生き残ってき
たのも、時代に合わせた新しい戦術を常に試
してきたからこそ。
明治の頃に長野県内に鉄道が通ると、中山
道に沿って存在した遊廓や店も、駅の周辺へ
と移動していき、佐久ホテルの近くにできた
「岩村田駅」周辺がにぎわうようになっていっ
た。そして平成に入ると、新幹線が開通。長
野駅ができたことで、善光寺への観光もより
手軽になった。
こうした流れを見てきた佐久ホテルだが、
これからの観光についてこう語る。「地理的


な理由から、佐久地域にはこれまで関東から
のお客様が多く見られていました。その一方
で、南信のエリアでは名古屋からの人の流れ
が多かったりと、土地によって全く人の流れ
が違うんです」。長野は日本で3番目に大き
な県。山や峠が多くあることで、歴史的にも
県内の交流が少なかった。「今、コロナの影
響で、インバウンド需要に焦点を当てていた
観光業が厳しくなっています。これからは内
需重視の時代、つまり観光業にとっては昭和
の再来のような時代がくるのではないかと思
うのです」。さらに篠澤さんは語る。「私ど
もが伊那や飯田に研修旅行に行くと、やはり
文化が違って新鮮なんです。今まで交流の少
なかった長野県内の方々にこそ佐久の魅力を
知ってほしいし、お互いの地域を行き来する
ことで得られる発見や喜びがあるはず」。独
自の魅力を磨き、多くの旅人を受け入れもて
なしてきた佐久の老舗宿は、『県内の隣人』
へと目を向けていた。

DATA
佐久ホテル
長野県佐久市岩村田 中山道
今宿 553 番地 
Tel:0267-67-3003
創業 1428 年 
総客室数 28室

宿の部屋には、実際に宿泊された文
人の名が付いた部屋も。自由律の俳 人
「 荻原井泉水 」 の名をとった井泉水や牧水など。
『長野に住みたいあなたの背中を押す本』
主催:長野県受託運営:信濃毎日新聞社 
テンショクNAGANO事務局
12021/03/23











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 更新〕〔終了

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