佐久ホテルニュース

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【963】宿泊料金
2026/3/8(日)18:24 - 佐久ホテル - p1448029-ipxg05201yosida.nagano.ocn.ne.jp 削除

★佐久ホテルの宿泊・満室日(宿泊満室)料金など ※令和8年3月〜


満室......3/20...3/21.....3/28...
特別料金5/1から5/6
満室....5/16....
7月中旬から9月初旬

◎宿泊料金は平日は素泊が6740円、半泊が8450円、本泊が11950円、片泊が10650円です。
休日は素泊が7500円、半泊が9200円、本泊が12900円、片泊が11400円です。
子供料金は平日素泊5000円で平日半泊が6000円で、休日素泊が6000円、休日半泊7000円
添寝料金は0歳から6才は素泊1400円で半泊2200円です。
添寝値段の7歳から10歳は素泊2900円、半泊が3800円です。
税サ込、休日とは土日や祭日や金曜や休祭日前日や盆を含みます。
年末年始は特別料金になります。
空満状況は常に変動しますので本表示と異なる場合があります。
お泊り以外のお食事、ご宴会の空き具合等はお問い合わせ下さい。
また約款は当館HPをご覧ください。

【962】交通新聞22923号に佐久ホテル
2026/1/24(土)15:52 - 佐久ホテル - p1448029-ipxg05201yosida.nagano.ocn.ne.jp 削除


望月城の城主が隠居して大井城に招かれ、先祖が要人の接待役として現在の地に創業したのが1428年(正長元年)のことです。足利将軍の接待をしたお礼状も残っています。なんと間も
もなく創業600年となるのは長野県佐久市岩村田にある佐久ホテルです。ご当主の篠澤明剛さんがおっしゃいます。当時の資料が保管されているのは貴重なことです。失ってはいけないと
原本と一緒にいくつか写本もあります。祖父が当主だった明治時代、近所で家事が出た時に壁に味噌を塗って延焼を防いだと伝えられます。私はもし火事になったら古文書は井戸に沈めなさいと教えられました。和紙に墨で書いてあれば乾かせばなんとかなると、代々よく保存してきました。篠澤家は割元という藩と農民の長となる名主の間に立ち多い時で近在36地域の名主
を束ねて通達を出したりする役割を担っていました。準士族といえる立場で苗字帯刀を許されていました。一万五千石の小藩だったからかここから徒歩1分の陣屋に住んでいたお殿様が
我が家の温泉に入りにきていたようです。封建制の世になんだかどんな人間関係だったようですね。岩村田には土地開発を任された16軒の家があり今も交流がを続けています。殿様はいわば転勤族なので土地に根をおろした人々が守ってきたのです。篠澤さんという姓を「ささざわ」と読むのは珍しいのですがこれは京都の御所に献上した馬が優れていたことから頂いたのだ
そうです。篠澤家では地域の用水開発なども行っていて今も篠澤水源などの名が残っています。さまざまな役を果たしてきた篠澤家ですがその役目は供応係です。明治以降何度か屋号を
変えているのですがOO楼とかお料理OOとしているので料理が中心だっただと思います。現存する昔の献立を見るとお刺身やお吸い物にも鯉を入っています。この地方の名物・佐久鯉ですが
昔から食べていたようです。佐久鯉は皇室にも献上もしていました。現在佐久鯉は2千円ぐらいから頂けますが佐久ホテルのメニューには4万円の殿様料理というのもあります。江戸初期に小諸城主に献上した献立を忠実に再現した料理でいったい何品出てくるのかというほど豪華なものです。「1年にお一人ぐらいしか入らないのですが今ではみないような料理や調理法も
あって作りづづけないないと技術が絶えてしまいますから」 古い文献を保管しているだけでなく生きた形に残そうとしているのは佐須田がです。宿としても室町時代から公的な高貴な
人を泊めていましたし、明所初期までは陣屋で行われる裁判にやってくる人が泊まる郷宿でもありました。郷宿は泊めるだけではなく裁判の資料を作成したり御白州に付き添ったり今でいう弁護士のような役割も務めていました。本当に色んなことを担っていたのですね。しかしその長い歴史の中には大変な時期もあったのではないでしょうか。長く続くお店は太平洋戦争
中にご苦労されたところが多いのですがこちらはどうでしょう。「それが戦争中はむしろ盛況だったと祖父母が言ってました。というのは本土決戦に備えて岩村田に日本海軍の空港を
建設していて動員された生徒が100〜200人もここに泊まっていたのです。軍の仕事だったので食糧も充分に回ってきていました。この空港、離発着ができる状態になって8月15日
に最初の飛行機が着陸するのを待っていたところ玉音放送があり、戻ってしまったという劇的なエピソードも残されています。つい数年前までこの佐久ホテルで当時の先生と生徒が同窓会
を開いていたので篠澤さんもいろいろな話を聞いているそうです。大変だったのはむしろ戦後からオイルショックの頃にかけてでした。「かつては三つの村にかけて広大な土地をもっていたようですが困ると土地を売っていてもうここしかありません。祖父母の死後、土地売却の書類が何筆もでて来たのだとか。新型コロナウイルスでダメージを受けている現在ですが、考えてみると明治、大正にもコロナなどの感染拡大はありましたし平成はコイヘルペスウイルスもありましたし各時代乗り越えてきたのですね」既に息子さんも経営に携わっているとのことで
次の世代の感覚サービスや料理が工夫されながら600年の時が刻まれています。 20260116

【961】メニュー一例 お祝い、ご法要
2025/7/5(土)17:45 - 佐久ホテル - p1424101-ipxg05201yosida.nagano.ocn.ne.jp 削除

■メニュー一例
・お祝い料理6000円:鯉唐揚、蛤吸物、本鮪刺身、鮎塩焼、鯉旨煮、茶碗蒸、椀子蕎麦、水物
・法事料理6000円:鯉唐揚、蒼さ海苔吸物、本鮪刺身、鯉旨煮、天婦羅、茶碗蒸、椀子蕎麦、水物
*鯉や川魚を使用しない献立も可能です。お料理は6000円から1万円まであります。

【956】佐久ホテルの記事(東信さんぽ)
2024/7/27(土)07:09 - 佐久ホテル <saku@sakusaku.co.jp> - p1110002-ipngn2301yosida.nagano.ocn.ne.jp 削除

■東信さんぽに「佐久ホテル」

〇信州最古の宿&鯉料理発祥の宿「佐久ホテル」宿泊レポート

【前編】東信偏愛女子チームのひなぽんです。
◎とんでもない歴史を持つ宿を発見してしまいました!!!
長野県でもっとも古い老舗で、室町時代から続く温泉宿が、なんと東信エリアの佐久市にあったのです。

名だたる歴史上の人物が宿泊し、貴重な資料も数多く残る、宿そのものが博物館のような場所。
しかも佐久市の名産である、“佐久鯉”料理もこの宿が発祥と言うではありませんか!

今回はそんな驚異的な歴史的エピソード連発の「佐久ホテル」をご紹介。とても一つの記事におさまらないため、前編・後編でお届けします。

佐久ホテルの歴史:創業はなんと室町時代の正長元年(西暦1428年、あと4年で創業600年)!現在の当主は19代目です。

宿がある岩村田という地は、古くから数々の街道が交わる交通の要衝であり、江戸時代には中山道の宿場町、また岩村田藩の城下町として栄えました。 そんな佐久地域の中心に宿を構えてきた佐久ホテルには、足利将軍をはじめ武田信玄などの戦国武将、岩村田藩主、諸国大名、近代では文人墨客、皇室関係、首相や大臣など……錚々たる方々が宿泊しています。

そんな由緒あるお宿なので、礼状や書状など、貴重な文献が2万点も残っているのだとか(現在も調査を続けており、そのたびに新たな発見があるそう)。すごすぎます……! こんなにすごい歴史を持つのに、意外と知られていないのは、先代まで家訓として歴史を公開しておらず、現当主になってからようやく“歴史を残したい”という強い想いで、公開を始めたからだそう。まさに英断です。
いざ佐久ホテルへ!
そんな唯一無二の歴史を誇るお宿が東信エリアにあるならば、ぜひとも宿泊せねば。
と、謎の使命感に駆られ、半ば興奮気味にお宿へ向かいました。

さっそく中へ入ると、入り口から老舗の雰囲気がぷんぷんと漂っています。  玄関脇には鯉が泳ぐ石造りの池があり、飲む温泉、ホテル名物の甘茶(記事後編で紹介)でお出迎え。こういったサービスがとても嬉しい!

ほかにもロビーには温泉水で淹れたコーヒー、手作りのよもぎ焼酎も自由に飲めるようになっています。 一人用のシンプルな洋室は、歴史を感じますが、ゆっくりと快適に過ごせました。

夕食は宿名物・鯉料理のフルコース
今回楽しみにしていた一つ。佐久鯉料理発祥の宿で、鯉のフルコース会席料理を味わうこと。歴史上の偉人たちと同じ味を堪能できるなんて、貴重な体験にわくわくが止まりません……!

宿の文献によると、慶安元年(1648)10月19日に鯉料理を小諸城主に献上しており、これが佐久鯉の一番古い記録だそう。延享3年(1746)には、伊勢神宮にも鯉料理を献上しています。

さて、個室に案内され、さっそく料理が運ばれてきました(取材だから個室というわけではなく、みなさん個室でのお食事だそうです)!
今回いただいたのは、佐久鯉会席料理「恋(れん)」。

鯉料理の定番である「鯉こく」(味噌汁)、「旨煮」(煮込み)、「洗い」(刺身)が揃うだけでなく、鯉の唐揚げや南蛮漬け、鱗の煎餅など、みごとな鯉尽くし!

鯉料理に使われているタレは、創業以来の継ぎ足し。醤油:酒:砂糖を1:1:1で継ぎ足し続けています。また、鯉は地元農家さんが育てており、佐久鯉は冷たい流水で飼育されるため成長が遅く、3年かけて育てられた後、出荷されます。それだけに臭みもなく、身が引き締まり、適度に脂肪が乗ったおいしい肉質になるそう。
10_koikoku
筒切りにされた鯉は、珍しく卵入り。春から初夏にかけてのたまにしか見られないそうで、ラッキー!
鯉は魚の中でも薬効が多く、タンパク質やビタミンなど、とにかく栄養豊富だそう。あらゆる病気予防にも繋がり、佐久で鯉を食べていたお年寄りはみんな元気だとか。

また、母乳の出が良くなることから、妊婦や出産後のお嫁さんに鯉を送る風習もあるそうです。

初めてじっくりと味わった本物の鯉料理は、独特のクセもなく、本当に美味しかった……!鯉の滋養強壮が襲い来るかのごとく、パワフルでものすごい食べ応えがあり、元気が漲りました!

佐久ホテルでは宿泊者以外にも、伝統の郷土の味を堪能してもらうべく、日帰りランチやディナーで鯉料理を食べることができます。
コース料理だけでなく、旨煮や鯉こくの御膳のほか、単品で頼むこともでき、テイクアウトも可能。 今や佐久市内で佐久鯉料理を味わえるお店は限られています。ましてその発祥の場所で、当時と変わらぬ味を楽しめるなんて、本当に貴重で贅沢な体験。

ぜひ歴史や文化を感じながら、本物の鯉料理を堪能してはいかがでしょう♪ 
☆おまけ☆
鯉の会席料理の下に敷いてあったシート。佐久の方言が一覧で書いてありました!!聞いたことないものばかり。こんなところも伝統ある老舗らしさを感じますね。
佐久ホテルの奥深さはまだまだこれから。後編は次週(2024年8月2日の記事)へと続きます。

住所長野県佐久市岩村田中山道今宿553番地 営業時間ランチ/11:30&#12316;14:00(LO) ディナー/17:30&#12316;20:00(LO) ※予約推奨  定休日無し
HPhttp://www.sakusaku.co.jp/  備考宿泊は平日1泊2食付き11,600円&#12316;(2名で宿泊した場合の1名あたりの金額)※鯉の会席料理は追加料金がかかります 2024年07月26日     https://toshin-sanpo.jp/archives/sakuhotel.html




【948】テレビ信州に「佐久ホテル」登場
2023/12/27(水)16:13 - 佐久ホテル <メール送信> - p1023127-ipngn1201yosida.nagano.ocn.ne.jp 削除

■テレビ信州ゆうがたゲットに佐久ホテルの佐久鯉料理

マンモウ飯田 氏も来館して佐久鯉料理を満喫!佐久鯉古文書、温泉、歴史、鯉料理…放送予定1/10/15:50〜

【946】海軍岩村田飛行場の企画展(佐久市)
2023/11/11(土)07:55 - 佐久ホテル <メール送信> - p1023127-ipngn1201yosida.nagano.ocn.ne.jp 削除

終戦近く、長野牧場周辺で「海軍岩村田飛行場」建設がありました。

その企画展が、臼田文化センターで12月3日まで行われています。

飛行場の建設作業に従事した若者約200名は佐久ホテルに宿泊しました。



今回の企画展では、佐久ホテルから提供させて頂いた当時の資料や写真なども
みることができます。

佐久市臼田文化センター0267823634

【944】地元の小学生が地元の用水を学びました
2023/10/31(火)20:03 - 佐久ホテル <メール送信> - p1023127-ipngn1201yosida.nagano.ocn.ne.jp 削除

佐久市立岩村田小学校の4学年では「岩村田用水をひいてきた偉人 篠澤源左衛門」
という 授業を行ったそうです。源左衛門は佐久ホテル篠澤家の先祖で江戸時代初期に
用水開発を行いました。



■佐久市立岩村田小学校4学年「岩村田用水をひいてきた偉人・篠澤源左衛門」単元展開案より
地域の発展に尽くした先人は様々な苦心や努力により当時の生活の向上に貢献したことを理解すること。当時の世の中の課題や人々の願いなどに着目して地域の発展に
尽くした先人の具体的例を捉え先人の働きを考え表現すること。「町の長として発展を願い自らの生涯をかけ私財を投げ打ちながらも水獲得に深刻な問題を抱えている岩村田に用水をひいてきた篠澤源左衛門そして後世の人々からもその偉業を成し遂げた源左衛門の名を何としても残そうとしている地域の誇りとされる篠澤源左衛門。地域の人々の思いを考えることで間接的に源左衛門の行った価値に焦点が当たってくるだろう」


■佐久市立岩村田小学校4学年「岩村田用水をひいてきた偉人・篠澤源左衛門」 授業展開 用水開発
Q この二つは昔の(みんなが生活している)岩村田地区の地形図。それぞれの色を塗ってみてどんなことが分かるかな?
・1500年頃は岩村田地区は茶色しかない。 1700年頃は茶色じゃなくて緑なの? ・200年の間にこんなに変わったんだ? 畑が田んぼになったんだ?
Q なぜこんなに岩村田地区に田んぼができたのかな?   Q 田んぼが作られるようになったのは川が岩村田に流れるようになったのかな?
Q 1700年頃になってなぜ岩村田に川が流れるようになったのかな?  Q岩村田まで誰が川を作ったのだとうか?  先生:用水を作った篠澤源左衛門(資料)
Q なぜ篠澤源左衛門が岩村田地区に用水をひくことになったのかな?  Qその当時、篠澤源左衛門にとって用水をひくことは必要だったのか?
Q 篠澤源左衛門はどこから水を引いて川を作ったのかな?      Q 篠澤源左衛門はどうやって岩村田地区に用水をひいてきたのかな?
Q 篠澤源左衛門たちは火山灰の土に水を通すために道を変えるなど工夫をしたの?   Q篠澤源左衛門は川を作るためになぜ自分の生活ができなくなるくらいのお金
  まで使ったのかな?  Q 篠澤源左衛門は自分が生活できなくなるくらいのお金を使ったのはしかたなくだったのかな?
Q 岩村田(篠澤)用水が完成した後は岩村田の人々の生活は本当に楽になったのかなな?  Q岩村田の人々が生活に使う水は確保できたのかな?
Q 戦後「篠澤」の名前を残そうと大反対した地域の人々の思いって何だったのかな?   Q 名前を残そうと大反対した人々が残そうとしたものは「篠澤」という
単なる名前だけだったのか?     Q今の岩村田用水の役割ってあるのかな?    ◎今まで学習したことから篠澤源左衛門に手紙を書こう!

【943】信濃毎日新聞に佐久ホテルの鯉料理、鯉歴史など紹介
2023/6/9(金)18:43 - sakuhotel - p904055-ipngn4401yosida.nagano.ocn.ne.jp 削除

https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2022122200242サスペンス? 鮮魚売り場が真っ赤 信州佐久で数百年愛される年取り魚とは年末に向かうこの時季、長野県内のある地域では、鮮魚店やスーパーの鮮魚売り場の一角が、鮮やかな赤色で染まって見えるのをご存知だろうか。その正体は、コイの輪切り。真っ赤な血もそのままにトレーで売られている。まるでサスペンスのような強烈な見た目に、またコイを食べる文化に驚く県外出身者が後を絶たない。長野県でコイはいつから食べられているのか、なぜ血を洗わないのか、売り方や調理方法について調べた。◎コイって食べられるの? 食べたらおいしかった!舞台は、佐久市を中心とする佐久地域。特産品に「佐久鯉(ごい)」がある..................................

【942】週刊さくだいら 佐久鯉記事より
2022/5/22(日)18:56 - 轄イ久ホテル <saku@sakusaku.co.jp> - ff223-048.infoaomori.ne.jp 削除



「きょう1月6日は佐久鯉誕生の日」1746年1月6日に 篠澤佐吾衛門包道 ささざわさごえもんかねみち が伊勢神宮の福島神主へ佐久鯉料理を献上したという記録が
見つかった。 これが発見当時、佐久鯉の最古の記録であったことから1月6日を佐久鯉誕生の日と制定し、日本記念日協会により認定・登録された。

【佐久鯉をもっと多くの人に】
佐久地域で鯉を食べる習慣は続いているが、以前に比べ日常的に食べる機会は減っている。背景には下処理や調理の難しさにも一因があるようだ。鯉は骨が多く調理の際、苦玉(胆嚢)
をつぶしてしまうと全体に苦味が移ってしまい食べられなくなってしまうという。

学校給食などでは食べやすく唐揚げにして提供することもある。篠澤さんが小学生の頃は今よりもっと
身近で「夏が終わると水をはったプールに鯉を入れそれを釣って先生が学校で鯉こくを作ってくれたこともありました」と振り返る。


【佐久鯉が全国的に有名になった背景】

まず一つ目は1966(昭和41年)に全国で鯉の切手が発行されたこと。そして二つ目は67年、歌手の橋幸夫さんが歌う”佐久の鯉太郎”が大ヒットしたことが挙げられる。この曲は毎年5月に開かれる
佐久鯉まつりの会場でGGMとして使っているため聞いたことがある人もいるのでは。1998年に開催された長野冬季オリンピックでイタリアの選手団が同ホテルを訪れた際、鯉料理をアレンジして
提供した。

篠澤さんは「鯉のアレンジの可能性は無限大だから今後が楽しみ。長野県だけでなく県外の方にもそして海外の方にも鯉の魅力を伝えていけるよう、もっと食べやすく鯉を
身近に感じる料理の研究が必要だ」と話す。

■週刊さくだいら 佐久鯉記事より

【941】『長野に住みたいあなたの背中を押す本』
2021/3/23(火)19:53 - sakuhotel - fb196-187.infoaomori.ne.jp 削除

 ■『長野に住みたいあなたの背中を押す本』 
主催:長野県
"鯉料理ひとすじ600年の宿" 「佐久ホテル」と、
人が行き交う長野の歴史 SINCE 1428

豊かな自然と歴史的名所を有する長野県。
そこには、600年以上続く宿がある。
かつ ては江戸時代の大名たちをももてなしてきた
という宿「佐久ホテル」に、
長野の観光の歴 史について話を聞いた。
「やはり、古くから善光寺の影響力は大き かったはずです。
長野から全国へ"善光寺街 道"という
道が伸びていて、遠くは岡山にも
『この道をゆけば善光寺』
という看板が立っ ていたといいます」そう語るのは、宿の
19代目当主・篠澤明剛さん。この宿があるのは、
県東部に位置する佐久エリアだ。「古くから、
佐久は長野の交通の要所でした。
それは、江戸や京都まで続く中"山道"という街道があっ
たからなんですね」。交通機関もない江戸時
代、人々は街道を通って遠い街へと移動した。
「江戸時代の交通といえば、東海道の方が印
象的でしょう。ただ、あちらは道中にいくつ
もの河川が流れていて、雨が降れば渡れなく
なることもある。到着の日にちが読みづらい
から、『何日に着く』と約束のしやすい中山
道も多くの人に利用されました」。
その頃から、佐久では地元の料理として『鯉料理で人を

もてなしてきた。宿に残され た文献にも、
1648年に当時の小諸藩藩主 へ鯉料理を献上した
記録が残されている。当 時も今も、
佐久エリアには浅間山からの水系 が流れ込み、
ミネラル豊富な水で養殖された 鯉が名産となった。
次第に鯉の養殖は、佐久 エリア
の農家たちの仕事の一部となる。
県外 から来る人々へのもてなしが仕事を産み佐久

久の産業となっていったのだ。
時代が変わり、街道の利用者が減ってもな
お、佐久には多くの人が訪れる理由があった。
それは日本五大稲荷の一つ、鼻顔稲荷神社(は
なづらいなりじんじゃ)の存在だ。明治の頃
の日本では養蚕業が盛んで、蚕の守り神と
して知られるこの神社には全国から養蚕業
者が参拝にきたという。「最盛期には、佐久
ホテルの100畳の宴会場を解放し、畳1
枚につき1人が宿泊したといいます」。そう
した参拝は、養蚕業が下火になるまでのおよ
そ100年もの間続き、戦後までの佐久の
観光を支えた。
佐久の観光業の変遷と歴史を見守ってきた
『佐久ホテル』だが、新しいことをはじめる
のも早かった。
19代目当主・篠澤様いわく、
「明治
18年、宮内省から『天皇陛下が佐久に
お見えになる』とのことで、専用室を準備す
るようにとの連絡があったそうです。その当
時の
16代当主・篠澤佐太郎が新たに陛下専用

の別館を作り、その別館の呼び名を『佐久ホ
テル』としました。当時はまだ『ホテル』と
いう名称も一般的ではなく、おそらく長野県
初のホテルになったのではないか」という。
「特に、
16代当主の妻……つまり私の曽祖母
に当たる人がとても先進的で。彼女は洋食に
特に力を入れ、当時珍しかった西洋料理を食
べていただくためのレストラン『太平楼』ま
で作りました」。宿として長く生き残ってき
たのも、時代に合わせた新しい戦術を常に試
してきたからこそ。
明治の頃に長野県内に鉄道が通ると、中山
道に沿って存在した遊廓や店も、駅の周辺へ
と移動していき、佐久ホテルの近くにできた
「岩村田駅」周辺がにぎわうようになっていっ
た。そして平成に入ると、新幹線が開通。長
野駅ができたことで、善光寺への観光もより
手軽になった。
こうした流れを見てきた佐久ホテルだが、
これからの観光についてこう語る。「地理的


な理由から、佐久地域にはこれまで関東から
のお客様が多く見られていました。その一方
で、南信のエリアでは名古屋からの人の流れ
が多かったりと、土地によって全く人の流れ
が違うんです」。長野は日本で3番目に大き
な県。山や峠が多くあることで、歴史的にも
県内の交流が少なかった。「今、コロナの影
響で、インバウンド需要に焦点を当てていた
観光業が厳しくなっています。これからは内
需重視の時代、つまり観光業にとっては昭和
の再来のような時代がくるのではないかと思
うのです」。さらに篠澤さんは語る。「私ど
もが伊那や飯田に研修旅行に行くと、やはり
文化が違って新鮮なんです。今まで交流の少
なかった長野県内の方々にこそ佐久の魅力を
知ってほしいし、お互いの地域を行き来する
ことで得られる発見や喜びがあるはず」。独
自の魅力を磨き、多くの旅人を受け入れもて
なしてきた佐久の老舗宿は、『県内の隣人』
へと目を向けていた。

DATA
佐久ホテル
長野県佐久市岩村田 中山道
今宿 553 番地 
Tel:0267-67-3003
創業 1428 年 
総客室数 28室

宿の部屋には、実際に宿泊された文
人の名が付いた部屋も。自由律の俳 人
「 荻原井泉水 」 の名をとった井泉水や牧水など。
『長野に住みたいあなたの背中を押す本』
主催:長野県受託運営:信濃毎日新聞社 
テンショクNAGANO事務局
12021/03/23











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