佐久ホテル年表

佐久ホテル略史
佐久ホテルの略史

■1413 応永 20 平成21年7月佐久ホテル書庫よりこの年号の古文書発見。現在、佐久史学会の
            先生らによって解読中。当家当主河内守の名前あり。

■1428 正長 1  紀伊国造三十八代末裔の望月城の望月河内守滋野朝臣光尚が大井家に客将として
当地(岩村田)に招かれる。 
山浦村一部と根々井村全部を領す。と古文書にあり。
            望月河内守は現在の佐久ホテルの場所で領主として宿泊や料理を提供
(当館の祖) とされる。
            望月河内守以来の墓標は岩村田の篠澤家墓所に奉斎されている。

同年          畠山重成宇都宮参河守追討足利義政檄文が当館現存。
■1463 寛正 4  後花園天皇御勅使を御接待申し上げるの文献あり。

■1464 寛正 5  望月上野守光重、宮中より「篠澤」と(ささざわ)の読みを賜る。
■1489 長享 3  十代将軍足利源義植公より感謝状を賜り現存する。
            同年 芦田常陸助様より感謝状を賜り現存する。


■1531 天文年間 篠澤信重、武田信玄を御接待し「感状軸」を拝領 ※箱書あり、甲州産水晶軸に巻いた名品で以来家宝。
           ※邸内の井戸の名水を沸かし風呂とし以来「旭湯」と呼ばれる。信玄入浴の伝承あり。旭湯は明      治後期まで存続。

■1546 天正 3 篠澤伊賀守貞兼、長篠ノ戦に参戦し武田軍先陣をつとめ戦死する。当時の槍と弓は家宝として伝わる。

■1560 永禄年間 同族の望月源八ら、岩村田に鼻顔稲荷神社を創建。

■1567 永禄10 と龍雲寺の約定、武田信玄書現存。

■1600 慶長 5 篠澤対馬守信重次男の印月斎一峯は同族でもある真田軍として出陣し、関ケ原戦に向かう徳川秀忠軍を御牧原から攻撃、
           その功績から同地に篠澤の地名を賜る、現在も同地に篠澤の地名あり【関ヶ原戦ノ時徳川秀忠ノ軍ヲ拒ガントシ手勢ヲ以テ御牧下ノ條二城ニ
           篭リタリ然レ城遂ニ陥ル其後徳川氏ノ怒ヲ避ケンガ為望月ヲ去ラザル可ラザルニ至リタリ】という文献も当家にあり。
           【重淑ハ印月斎ガ血族ノ甥ニシテ南朝望月家ノ裔トシテ以テ後事ヲ託ス即祖宗祭祀ノ事皇族祖宗ノ遺寶ヲ譲渡セシ事而シテ重淑ガ
            両望月ヲ合セタル本宗タル…】とある

■1614 慶長19 篠澤右京大阪冬の陣に出兵の記録あり

■1648 慶安元年 十月十九日夜小諸藩主青山因幡守宗俊公に篠澤佐五衛門良重が献上鯉料理。平成19年佐久史学会によりこの文献が佐久鯉の初見と認定。
           当文書の中のカラスミ、金平糖等は江戸時代最古(全国)。金平糖は舶来品。

■1628 寛永 1 篠澤源佐衛門重淑、軽井沢より当地まで用水を引く。「篠澤用水」「笹沢水源」「岩村田用水」の別名あり。
           ※御代田、小田井、岩村田の生活水道となり田畑を潤す。※用水が岩村田に入る難工事区間の沢を笹沢(篠澤)と呼ぶ。
           ※篠澤用水の水は荒宿、大和町、花園町、稲荷町、住吉町、本町、相生町を通す大工事。
           ※現在篠澤水源の水は佐久市の水道水の25%に使用されている。

■1628 寛永 1 歴史書「千曲川ノ真砂」に「岩村田ノ篠澤源佐衛門手勢五百騎ニテ小笠原軍千五百騎ト戦ヒ両将ヲ大弓ニテ射大勝ヲ得ル」とある。

■1691 元禄 3 篠澤家は岩村田祇園祭の御振舞之儀を現在まで代々承る(重要無形文化財指定)。
           毎年約150名分の鰻蒲焼、豆腐料理、天茶、刺身、前菜、酒肴、酒、飲物等を祭礼一行様に無料奉仕。

■1698 寛永10 篠澤佐吾衛門良長、浄土宗高僧「海誉上人」を当館にまねく。上人から掛軸等拝領す。
           ※海誉上人ゆかりの寺は火災に遭遇し直筆文献は現在全国で当館のみ。

■1721 享保 5 篠澤佐吾衛門包淑、神道官領ト部末流藤原重次に師事し京都吉田神社より神主免許を賜る。
           免許証現存する。※現在当館社長も宮司を務める。

■1737 元文 2 篠澤佐吾衛門包淑、八条右中將藤原英朝内大臣藤原常雅一行をもてなし礼状を賜る

■1628 延享 3 篠澤佐吾衛門包道、伊勢神宮の福島鳥羽大夫神官を招き佐久鯉料理献上。
           ※当時の神宮神職の食生活を知る文献は他に類がないという。 
           ※近年、当日の文献をもとに再現料理を当館にて行い新聞やテレビで紹介される。福島家末裔佐藤家ならびに松島家は当家と親戚関係。

■1750 寛延 3 岩村田藩主内藤美濃守正弼公西念寺法要につき篠澤佐吾衛門包淑御料理献上。
           ※当日の献立を再現し西念寺へ献上するイベントを近年実施し新聞等で報じられる。

■1752 宝暦 2 篠澤佐吾衛門包淑、高僧「木食上人」を当館に招く。上人文献現存。
           ※上人の掛軸は当館当主の葬儀の時だけ奉斎される家宝。

■1755 宝暦 5 篠澤佐吾衛門包淑、荒宿十ニ神社に石祠寄進 (毎年、荒宿区より御幣賜)

■1755 宝暦 5 篠澤佐吾衛門包淑、伊勢町奉行の依田金十郎に本膳料理献上する。献立現存

■1759 宝暦 9 篠澤佐吾衛門包淑、岩村田城主に料理献上。

■1763 宝暦13 篠澤佐吾衛門包淑、伊勢町奉行の依田金十郎に本膳料理献上する。献立現存

■1763 宝暦13 篠澤佐吾衛門包淑、福島肥後守御昼食献上する。献立現存

■1772 安永 1 篠澤佐吾衛門包淑、伊勢神宮神官で歌人の杉木宗大夫逗留「花盤雨迩散るとも志らて啼蛙」の歌軸を賜。歌碑現存。

■1781 天明年間 将軍家斉公より感謝状二通@阿部備中守よりA松平伯耆守より。

■1794 寛政 6 篠澤佐吾衛門包淑、蕎麦を岩村田藩主に献上。二度行う。

■1796 寛政12 「五月二十一日殿様御駕付人馬割合帳」現存。

■1802 享和 2 篠澤佐吾衛門包淑、の時、太田南畝、下江途路に逗留「紀行文」を記す。

■1818 文政 1 将軍徳川家斉公より篠澤源吾兵衛包征に献上品の礼状を賜る。幕府老中大久保加賀守、岩村田藩主内藤豊後守の添状。

■1818 文政 1 小林一茶宿泊「朝霧や浅間の煙膳をはう」の句碑現存。見学可

■1843 天保13 葛飾北斎投宿「向島花見之図」現存。見学可能

■1842 天保12 大名の仙石讃岐守公御泊

■1842 天保12 「向島花見之図」は当館先々代女将菊が父親で江戸城医師林周安から初節句に賜わった押絵雛でその雛絵は葛飾北斎による。
            現在公開中。
■     天保年間 館林藩主井上正春公に帷子献上礼状賜る。

■1853 嘉永6  水戸様御為替承るの文献あり。
      嘉永年間 将軍家茂公より水野越前公経由で感謝状賜る
■1854 安政年間 14代徳川家茂将軍より感謝状を賜り現存。老中脇坂中務大輔より岩村田藩主内藤豊後守拝受。
◎徳川家茂「到来歓思食候猶牧野豊前可申候也 九月七日 家茂印 岩村田城主内藤公」
◎徳川家茂「到来歓思食候猶太田豊後守申候也 十二月二十七日家斉印 岩村田城主内藤公」
◎徳川家茂「到来歓思食候猶水野越前守申候也 三月二十七日 家茂印 岩村田城主内藤公」
■1860 文久 1 皇女和宮様御降下時の臨時御休憩処に指定。調度品現存。

■1865 慶応年間 篠澤豊太朗の妻「菊」の父が幕臣であった為、江戸城騎士市川萬庵三兼から「小板流水梅花荘…」の漢詩を頂く。
           詩の中の梅の樹は岩村田藩公御手植で今も当館庭で美しい花を咲かせる。

■1865 慶応年間 将軍家茂公より歳暮礼状を賜る 
           歌人老南堂滞在し「居故峰も又那き桜や花に月」の額を賜る。

■     幕末?  西郷隆盛、木戸孝允、大久保通利、溝口桂巌の連書の漢詩屏風あり、経緯は不明。

■1869 明治元  佐久三十六ヶ村の名主、庄屋衆を代々束ねた割元(割本)職を終える。 当館に「割本邸」と彫った石標あり。 
           ※割本は代官、郡代と名主、庄屋の中間にあり年貢、所役割当を行なう武士と
           同格の職。岩村田宿には本陣が無かったので割本の当館がその役を代行してきた。

■1870 明治 2 篠澤豊太郎滋近吉、「晩香桜」の名称で旅館兼料亭を始める。また「旭湯」として風呂も提供。

■1872 明治 4 このころ「晩香桜」「太米楼」「御料理さた」「篠澤旅館」「佐久公会場」などの建物が邸内あった。

■1873 明治 5 篠澤豊太郎滋近吉岩村田戸長に就任、後に町議会議員になる。

■1876 明治 8 江戸時代から邸内の蔵で醸造してきた清酒の仕込を終える。

■1879 明治11 三条実美太成大臣宿泊され囲碁を楽しまれ礼状を賜る。

■1884 明治15 篠澤豊太郎滋近吉ら東京〜小見川(現千葉県香取郡小見川町)間の江戸川、利根川に外輪蒸気船いろは丸を就航させる。
           詳しくはHP参照。http://hw001.gate01.com/hiro-murakoshi/。近吉は当事の金額で百万円を投資する。

■1856 明治18 宮内省の命を受け明治天皇の専用室を建設「佐久ホテル」と命名し篠澤佐太郎会社が会社組織にする。

■1898 明治31 島崎藤村宿泊される。

■1904 明治37 この年の領収書綴現存。鯉、鰍、牛肉、牛乳、かすていら、鮠、鯛、鮑、鰻、卵、パン、新聞などを買っている。

■1907 明治40 柳田国男宿泊される。

■1913 大正 2 犬養首相講演会「首相、佐久ホテル大広間にて講演会を行い会集千二百名…」当日信濃毎日新聞記事より。

■1921 大正10 北原白秋逗留される。

■1922 大正11 若山牧水逗留「白玉の歯にしみとおる秋の夜の酒は静かにのむべかりける」と詠む当館庭に歌碑あり。  

           「みすずかる信濃の国は山の国海の魚なくて鯉があるばかりその鯉の味の強きは一日うまく二日まだよく
            三日に飽きにけり鯉こくにあらいに飽きて焼かせたる鯉の味噌焼うまかりにけり味噌焼にやがては飽きつ
            二年子の鯉の塩焼うまかりにけり信濃なる鯉のうちにも佐久の鯉まず喰いてみよとしいられにけりなるほど
            旨きこの鯉佐久の鯉ほどほどに喰わばなお旨からむ佐久ホテルにて若山牧水」と詠む。

■1925 大正14 若山牧水当館にて執筆活動「佐久ホテルに投宿朝まだ日も出ないうちからM君達は起きて騒いでいる
           永年あこがれていた山の国信州へ来たというので寝ていられないらしい(中略)
           障子を開けているといかにも高原の此処に来ている気持になる…」みなかみ紀行より。

■1930 昭和 5 荻原井泉水、逗留され「和羅那布流遊幾通毛留」の歌をしたためられる。歌軸、歌碑現存。

■1930 昭和 5 皇室菩提寺御寺泉湧寺大僧上逗留され書画百数十点のこされる。

■1936 昭和11 種田山頭火、小渕沢より小海線を歩き岩村田まで来られ、町内の酒蔵を見学され当館宿泊。

■1942 昭和17 佐藤春夫、当館に疎開し専用室建設「根腰山すそ萩尾花秋は浅間の煙さえ…」の歌をつくられる。
           歌額現存。 疎開中、有島生馬も来館。

■1942 昭和17 旧日本軍農兵隊宿舎に指定。家宝で重文クラスの「備前長舟」「長光」軍へ提供。

■1983 昭和58 当館に江戸時代から伝わる「祇園御振舞之儀」が岩村田祇園祭の一部として無形文化財に指定。
           毎年津島神社から享保五年に拝領した祇園御神軸を当館に奉斎し神事斎行。

■1986 昭和61 十八代目当主篠澤秀夫佐久ホテルを株式会社にして現在の建物完成。

■1999 平成11 二百五十年ぶりに伊勢神宮へ佐久鯉料理を献上。佐久鯉感謝之碑を贈る。

■1999 平成11 当館前の丸型ポストが日本丸型ポスト協会から「丸型ポスト全国百選定」に選ばれる。

■1999 平成11 現存する日本最古の野球部である慶應義塾大学パトリックチームが古くから佐久ホテルにて合宿を行なっているので
           同部創立八十周年式典に招待を頂き記念品を賜る。

■2000 平成12 当館から延享三年一月六日に佐久鯉を献上した事から一月六日が「佐久鯉誕生の日」に認定。
           但し後に当館からさらに古い小諸城主へ鯉料理献上の文書発見され、記録が更新される。

■2003 平成15 当館伝来の御祓大麻を有形文化財に申請。御祓大麻は当時大名などに
           伊勢神宮から授与された一種の御守で枕位の大きさがある。
           一体が約十両したとされ、主に大名に授与された。通常は古くなると御焚上されたので現存例は少ない。
           完全な御祓大麻が十数体も現存する例は全国にもない。

■2003 平成15 ギネスブックに「鯉料理ひとすじ400年」として記録申請。

■2004 平成16 当館支配人が天皇皇后両陛下紀宮内親王殿下御奉迎所役。

■2004 平成16 高円宮妃殿下御成。

■2006 平成18 当館の若山牧水の額や掛軸等が御代田町縄文ミュージアムで展示。

■2007 平成19 「天茶」を商標登録申請

■2007 平成19 当館伝来の江戸時代の大名料理の献立が佐久市立望月歴史民族資料館に展示。

■2013 平成25 当館伝来の江戸時代の雛人形が佐久市立望月歴史民俗博物館に展示。 


















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■篠澤家古文書のほんの一部をご紹介(市教育委員会解読分)

整理番号┃元号          ┃内容

■1193建久四年卯月屋形配置分之事状折紙信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1398応永五年十月二十三日大内吉廣追討足利義勝檄文巻物信州佐久岩村田篠澤家文書 

■1413応永二十年九月十日畠山重成宇都宮参河内守追討足利義政檄文 ※信州佐久岩村田篠澤家巻物文書

■1607慶長十二年古代村絵図岩村田問屋役人より仙O太衛門宛中澤由之助信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1648正保五年三月十一日十八ケ村万事之刻横帳佐五右衛門 信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1658万治年中之頃十一月十七日江戸にて仰渡された御条目写二通差し上げる。御法度は必ず守るよう信濃の国中直末等迄触達すること知恩院役者源光院ほかより佐久郡岩村田西念寺ほか四ケ寺宛信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■1662寛文二年正月二十九日岩村田西念寺と跡部の西方寺本末出入となり西方寺が末寺となったが西方寺の諸旦那は本山の直末にするよう西念寺へ意見したところ承知故今後双方入婚ねんごろにする様に申し渡す本山常称院ほか二ケ寺より西念寺宛信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■1662寛文ニ年法性院堤山信玄公法度押書信州佐久岩村田割本篠澤家文書 

■1682天和弐戌年天神宮建立に付大工六左衛門喜之助より詫文一通 太田作之進様御手代中より祭礼免に付御下紙併祭礼出入之節隠居源五衛門方より佐五右衛門方へ江戸へ遺申候書状写上原与惣兵衛子平兵衛甚五衛門より書状あり信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■1683貞享二年六月十一日佐久岩尾村の内四十石寺門前林等免除上記岩村田竜雲寺へ慶安元年の通り寄進※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1688元禄元年十二月二十日飯沢村龍顔寺庵料に付置芝間紛争一件付元禄四年八月十日飯沢村名主書状。※信州佐久岩村田割本篠澤家文

■1689元禄二年九月六日手形之事 鉄砲改証文高野町往生院より岩村田浄土宗一行山西念寺宛信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1690元禄三年二月乍恐書付を以奉願候御事。岩村田若宮、祇園長土呂近津大明神神祭料として夫夫先代通り祭礼免候致したく願書。岩村田長土呂惣役人より新岩村田陣屋代官太田作之進宛。※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1691文政四年五月十七日見舞受納帳岩村田町役元篠澤家文書。

■1691元禄四年七月二十九日岩村田龍雲寺了山和尚遷化のあとまだ後住も決まらぬが決まったら重要行事あるので立会吟味すべく寺領山林田畑庫裏に至るまで吟味無住の間は火の用心夜番油断なく行う事 越後魚沼郡上田雪洞庵より岩村田竜雲寺閑居旦中宛信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1693永禄六年四月朔日奉再興西念寺本尊阿弥陀之像彩色之事※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1694元禄七年二月信州佐久郡岩村田町宗門人別御改帳※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1695元禄八年二月年々御拝借目録之覚※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1695元禄八年差上申口上之事他十通。田用水セギ取継一件。百姓共より代官所あて※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1697元禄十年三月二十一日乍恐書付以奉願随意奉□之事龍雲寺大忠より御役□中宛享保二年写す※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1697元禄十年四月四日扱証文之事瀬戸村八幡宮と諏訪明社、社参の際、打鳴ぞめには争論となり両社勤番へ神主善之丞が仲に入り日をきめて交互に打鳴初をするようにきめ相互証文取り交わすよしの文書は岩村田より瀬戸村宛のもの。※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1697元禄十年六月岩村田 祇園祭の御舟、踊、踊習場につき各町町詳細取り決め書※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1697永禄十年八月七日敬白起請文之事大井幸助、小林図書、小林新助、小海宮内介、土田士郎左衛門、臼田佐渡守、小林五郎左衛門より吉田左近助、浅利右馬助両名宛※信州佐久岩村田割本篠澤家巻物文書

■1698元禄十一年正月吉日岩村田町萬御廻状※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1699元禄十二年七月二十九日売渡申田地之事往生院と出入にて差詰田地売渡証文西念寺より庄五郎宛信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1699元禄十二年八月二十一日往古より末寺往生院より三十五年以前先住勢誉が差出した末寺往生院の判は勢誉の謀判である由と訴訟されたがそのことは二十一年以前本山にて決着すみであるゆえいつでも本山へ上がり往生院と対決するゆえ論議願渡。西念寺より本山(知恩院)御役者衆宛信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1699永禄十二年八月二十五日 三十五年前先々住勢誉が差上げた本末御改の往生院の判本につきたずねられたが八月二十一日付書付を差し上げたが昨日また往生院旦那青山太郎兵衛がたずねられたよし二十一年以前この出入で欠落した往生院住持秀翁若し往生ならば皆一所に召寄られればありがたいことである岩村田西念寺より本山御役者衆宛信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1699元禄十二年九月六日往生院と二十一年以来本山へ出入のところ二十一年前には三十五年以前岩村田西念寺の先生住の勢誉和尚着帳差し上げ帳面に往生院は西念寺の末寺とあるのでその通り(二十一年以前)しておいたところ十七年以前その帳面は勢誉の謀判であるので往生院よりの訴状により取糸連ているが六役中様本山の御役者中様立会にて吟味されたがその判だけ嘘実は乱し難いので末四月直に小造たる類判たずねだして差出さなければいずれ本末の落着はならない旨お伺いしましたので一札申しあげます。西念寺より本山御役者衆宛信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1699元禄十二年生蓮社岌往上人は往生院三代目住持にて往生院より岩村田の西念寺の開山である.三十九年前元祖上人法事の石切西念寺の勢誉が来て大誉和尚へ上京し西念寺の末寺にしてやるから家門帳へも西念寺末寺としても苦しくないとのこと。大誉OO後順可の代は末寺の勤なく秀翁替目の時上京本山の帳面西念寺末寺往生院旦那太郎兵衛となっており負けておったが太郎兵衛にきいたところそのような事は全く聞いていないとまた判を押したこともないとのこと。本山帳面の往生院判は正判とのことゆえ什物帳の判形、名主所にある太郎兵衛判形持参するので本山御了簡にて慈悲願い上げる高野町禅宗源七郎ほか往生院より知恩院役者衆宛 追伸岩村田西念寺隠居勢誉が往生院の似判を使用し本山へ書き上げたと申している。信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■1700元禄十三年正月岩村田町兼町数家数古城跡書上帳岩村田問屋名主役人より御代官宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1700元禄十三年正月岩村田西念寺と高野町往生院本末の出入につき門中扱申一札の事、郷中九ケ寺、往生院、源七、源七、清六連判。信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■1700元禄十三年二月二十九日高野町往生院より西念寺を脱し本山の直末になりたいと訴訟一件。龍雲寺も中に入り訴訟を続けることは檀家にも苦身をかける三枚本山直末にしてやったらどうだと本山の申添もあることゆえ残念ではあるが堪忍もって子々孫々繁盛の基に而仏果の円と存じ意趣書付を披露します。西念寺専譽より総旦那衆そのほか宛信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■1700元禄十三年四月 一、本山へ四十年におよび納めた利Oの往生院の判をけずりとることは理不尽である。二、小諸本町の光岳寺で門中会合往生院に対して小造たる証Oの有無たずねたところ無の口書あり。以上にて往生院は西念寺の末寺たるべきと決めてほしい岩村田西念寺惣旦中より京の知恩院本山役者衆中宛。信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■1701元禄十四年往生院は岩村田の西念寺の末寺であり元禄十二年までは本末の法式をもってつとめさせてきたが十二年に往生院源七郎が上京して帳面の判面の判形は謀印なりと申されたがそれでは今までどこを本山としてきたか早く察整して西念寺末寺にしてもらいたい西念寺問屋名主惣役人より市川源右衛門役人衆宛 信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■1701元禄十四年七月二十八日 寺社奉行所より指紙の通り出頭する旨の返答書 丸山小太夫より役人宛 小太夫を必ず出頭させるという名主両名奥半あり※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1701元禄十四年正月西宮免状岩村田町丸山小太夫如恒はえびすもりの家業を務めること若て免許の無いものが行ったら吟味を遂げる。摂州西宮夷社中西久晴より※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1702元禄十五年十二月十九日往生院と本末出入につき京都へ相詰路金入用等に差言Oり借用十五両利金十両計二十五両は八年間に年租十俵宛返済証文岩村田西念寺住職専誉町役人法頭より信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■1702元禄十五年十一月二十四日。一、月牌免として寅新田中川原高八升四合之田壱枚之内。二、両親忌?として金一両二分上記請取書。善導寺より青木市兵衛宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1704元禄十七年正月十五日 岩村田西念寺と高野町往生院にて出入となっており往生院は増上寺の末寺になったと言っているが西念寺住職がが増上寺へ掛け合いに行ってくるから帰るまで往生院の判形は受け付けないよう願書。西念寺専譽より内藤藩奉行所宛。※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1704元禄十七年正月 七ケ年以前迄岩村田西念寺の末寺であった高野町の往生院が宗門改の節増上寺末と言い出したが増上寺の真意を聞かせて欲しいという書状西念寺専譽より増上寺御役者衆中宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1704元禄十七年当殿様日記書留帳自元禄十七年但し宝永と改元至宝暦十年割本佐五右衛門控信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1704元禄十七年正月往生院本末出入は六年以前本山にて着帳あらため往生院は西念寺の末寺たる事まぎれもなきこと。往生院源七、清六O沢甲訳なくなっていたが今度増上寺末寺になったといっているが貴寺の尊意うかがいたく西念寺専誉総旦中より増上寺役者宛信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■1705宝永二年正月十六日 長久保与三兵衛、望月村庄右衛門両名の者を相手にしないよう廻状。一日市場村ほかより前山村ほか十三ケ村宛。夷守仲間か

■1705宝永二年二月 神事舞太夫家職梓神子家職。標願家職免許状幸松勘太夫より岩村田三之丞宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1705宝永二年三月二十八日信州えびす願人の事。梓神子の職をつとめる者を公儀よりおたずねがあったので通知する。幸松太夫より信州名主中宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1705宝永二年四月五日六日 信州えびすもり梓神子の職をつとめているかとの公儀からのおたずねとのこと、故を調べたところ小太夫はすでにやめている。弟の門助、三之丞がわけも知らずに渡世のためつとめているが停止せよとの事なればととめをやめさせる。岩村田名主中より幸松勘太夫宛。

■1705宝永二年五月十六日 門助、三之丞へ梓神子職がつとまるよう支配帳面へ裁かせてもらいたい。岩村田名主より幸松勘太夫宛。※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1705宝永二年七月 観音奉賀金請取覚 龍雲寺三十三番之観音。※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1705宝永二年九月 権兵衛、角兵衛口論喧嘩なれど仲間の衆立入。和解となり権兵衛より証書。※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1705宝永二年九月十八日 平賀新町にて危ない出入あり内証。近所迷惑かけお詫びする。岩村田えびすもり伝兵衛より名主年寄※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1705宝永二年九月十八日 権兵衛と佐久の平賀の新町の角兵衛が口論出入のさいに紋助は角兵衛と縁者なので三之丞と紋助に立入り内証に情けすようにいわれたが紋助が立ち会わないの手錠つけられ詫書。紋助より岩村田文左衛門ほかあて。※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1707宝永四年七月五日 当年立会銭五百文滞ったので江戸寺社奉行所へ出頭の差紙をわたしたところここで殺銭を受け取ったので江戸へは出頭しなくも宣○西宮平宮平次左衛門 内山木左内より丸山小太夫宛。※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1707宝永四年七月五日 当年立会銭五百文滞ったので江戸寺社奉行所へ出頭の差紙をわたしたところここで殺銭を受け取ったので江戸へは出頭しなくも宣○西宮平宮平次左衛門 内山木左内より丸山小太夫宛。写し ※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1707宝永五年 正月十二日 岩村田町若宮八幡、新海大明神両社の祠官免状拝受のため上京致したいので添状願い書神主柏原より※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1707宝永四年七月五日西宮役銭併法度書の連判滞り寺社奉行より江戸へ召し出の指紙されたがここで済ますことにより江戸へ行かなくてもよくなり今後は決して遅らせない誓約書丸山小太夫より山木佐内宛 信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1707宝永四年七月五日役銭受取書西宮平次右衛門内山木左衛門より丸山小太夫宛信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1714正徳四年正月小太夫近年病身だがせがれ源七無調法者なので何様誰を小太夫跡継にねがいたし。小太夫、三之丞、源七連名。浦の村兵左衛門より岩村田役人宛。※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1715享保六年十月 預ケ金請取証文上平尾守芳院隠居弟子文昌ほかより守芳院※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1715正徳五年三月口上覚。岩村田宿問屋跡式出入一件※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1715正徳五年六月十七日 岩村田祇園祭礼祇園神輿御舟行事次第。名主年寄より役所宛。※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1718宝暦四年佐久郡村付高覚書岩村田宿横帳 信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1720享保五年正月 一、岩村田祭礼出入責任上佐五右衛門と喜右衛門両名主退役させられたが再任の希望向もあったが病死した。二、佐五右衛門せがれ貞之助名主筋に付き名主役願い出たいところであるが若輩につきこのたびは延引いたしたい。 三、名主役は公儀のおぼしめし次第であるので貞之助へ名主おおせつけられないのは有難い次第である貞之助佐五八より奉行所宛信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■1720享保五年正月 一、岩村田祭礼出入の責を以退役の佐五右衛門、喜右衛門を名主に再任願いたく新名主に相談したところ公儀のおぼしめししだいであるとの返事であった。 二、百姓共は自分達のことで責任上退役したのであるがその必要はないとおもうから再任の訴えをねがいたい。 三、佐五右衛門は昔から岩村田のため数々尽くして呉た家筋であるから是非名主役に再任願います。久太夫外四名より奉行所宛。信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■1720享保五年正月 一、岩村田祇園祭礼出入にて両名主召しあげられたが百姓達は困るので両人へ再任を願ったが八月に公儀により割本役をおおせつかったが請けなかったゆえ名主役請けるわけにはいかぬとの事なれど、なんとか名主役お返し下さい。 二、佐五右衛門は病死したがせがれ貞之助若年であるが名主跡目であるからおおせつけられた。三、両名主が召し上げられたのは百姓どもの祭礼出入のせいであるからなにとぞ両名主再任願いたい。岩村田惣百姓百二十五名連印にて奉行所宛。信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■1720享保五年正月 祭礼出入にて召し上げられた古名主へ今の新名主を取りあげて古名主へおおせつけられるたび一答連判の訴状にて願い上げます。若事済にならなければ江戸表迄訴状申上度口上書差し上げます。なおこの口書は役所には出さず。信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■1720享保五年二月 九日名主役につき僧惣百姓問屋役人再任訴言召願書御意を得たく候につき今度奉行所様出府の際お共として一両人参上いたしたく御慈悲おとりなし下されたく願い上げます。九太夫ほか惣役人除名主より奉行宛信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■1720享保五年二月 十四日古名主帰役の訴惣百姓拙者とも銘銘願書差上申処此の度は延引仕様達ておおせつけられたので中止するがいずれおりをみて訴申し上げるがそのときに御慈悲おとりあげ願い上げる久太夫外役人惣百姓より奉行宛 信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■1735享保二十年二月寅之天銭帳岩村田宿問屋名主惣代役人より御役所宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1735享保二十年二月 岩村田龍雲寺焼亡につき建立金無尽掛金預り一札岩村田十太夫ほかより龍雲寺宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1733享保二十年五月十八日岩村田祇園祭礼一日にして済ますように各町踊りは刻限を決め必ず次町へ渡すように請書岩村田惣役人より役所宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1736文文?二年六月十七日岩村田祇園祭礼踊は一日ですまなかったので以来必ず当日踊り仕舞いに致す請書 有宿名主役人より御役所宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1741元文六年三月摂州西宮本社直支配神職宗門改帳.岩村田西念寺旦那丸山内藤家内書抜※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1741寛保元年七月.岩村田祇園祭先規の通り相違なく執行の旨の誓約一札あら町大町両名主役人立入人より御役所宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1740元文五年御公儀より夫銭帳御案紙※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。案紙=雛形。夫銭=助郷などの夫役の代わりに納めさせた金銭。

■1741寛保二年五月 岩村田祇園祭礼違乱なきよう細部条々役所より※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1741寛保二年十二月六日飯沼村の庚申座は往古龍顔寺の寺家慈済が庵寺として建てたものだが近年津ね右衛門と申す者が遠国者を差し置き龍顔寺より引き離そうとしているが当寺の指揮に入るよう仰せつけられたく龍顔寺より岩村田役所宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1742寛保三年三月十一日岩村田流雲寺殿堂焼失後再建資金無尽金貸付証文等御尋二附キ返答書岩村田金太夫左五右衛門より御役所宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1743寛保四年四月二日佐久郡岩村田町龍雲寺殿堂焼失後再建資金之内下中込村又兵衛へ預けおき分無尽掛金整理残金請取清算済となった覚え書龍雲寺より上丸子村の七右衛門ほか宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1742寛保三年二月八日龍顔寺より訴えの庵は同寺末庵に給れないOO飯料、庵主施主等にいさいこころえ内済証取O飯沼村名主役人原組役人より源左衛門内外宛 信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1741享保二年六月十日 岩村田祇園祭礼行事の件で今宿を訴訟の一件。あら町名主組頭一同より役所役人宛。※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1742享保二年六月十二日 岩村田祇園祭礼取継一件為取替証文。大町喜右衛門ほかより、あら町左五右衛門内外宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1742享保二年六月十九日 岩村田祇園祭訴訟の件相手喜衛門より簡単に詫びられたがこのままでよいのか役年の異論もあって困るので書付にしておきたく願書。あら宿左五右衛門一同より役所役人宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1753宝暦三年九月御公儀より仰せ付けの二十一ケ条請書平左衛門他十三人より組頭百姓代宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1753宝暦六年四月殿様無尽掛金調かねるので拝借願佐久岩村田名主年寄より役所宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1754宝暦七年七月六日岩村田祇園祭礼神輿御旅上屋御舟飾の由緒の家々書上覚名主年寄連名※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1754宝暦七年五月十二日差出シ申一札「離縁届書」長土呂村市左衛門より岩村田割本佐五右衛門宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1757宝暦八年十一月本尊阿弥陀如来譲渡証文更科郡四谷村六郎右衛門より中氷金色村市平衛宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1758宝暦九年十月お尋ねにつき古来より由来の社書上覚岩村田名主役人より役所宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1759宝暦九年九月二十六日神主出入百姓騒動覚。岩村田住吉大明神の神社の森の木を無断伐採したので神主より訴。宝暦十二年正月十五日百姓騒動覚。騒動在歌(落首)。※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1760宝暦十年五月十二日高野山金剛峰寺月牌上人証、平賀村在住篠澤六左衛門寛永十九年正月十九日分蓮花定院より篠澤佐五右衛門包淑宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1761宝暦十一年二月岩村田若宮八幡免納対馬方江預ケ置分取り上げられては請取神事の節の賄に迷惑するのでおたずねにつき返答書一札岩村田問屋名主惣役人より役所宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1761宝暦十一年十月社家対馬に対する氏子との出入にて役所の吟味に承知して江戸おもてに出訴されたので村中氏子をやめたく江戸おもてにてお願い致したく村中連印致しました。惣百姓より問屋名主役人宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1761宝暦十一年八月二十九日岩村田町帳外者書留帳※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1762宝暦十一年十二月 一、八幡免の田質入の分返済するよう。二、若宮八幡祇園天王米十俵の中の三俵名主に取られているが返済。三、住吉明神の社木を無断に伐採しないよう。四、小作料勘定に神主を必ず立ち会わすよう。五、寺社の仁王は神主の支配より除かれたく。柏原筑後より寺社奉行所宛。乍恐以書付御訴言召奉申上候※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1762宝暦十二年正月町中騒動之節覚書篠澤長八※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1762宝暦十二年正月吉日筑後と町方出入二附覚書篠澤佐五右衛門内※信州佐久岩村田割本篠澤家文書 

■1763宝暦十二年正月覚書延宝八年六月四日岩村田神主役人より西尾隠岐守へ差上げた祇園祭礼書付写を差上げる岩村田町名主役人より奉行所宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1762宝暦十二年六月 昨年十一月十二月神主柏原筑後より訴の一件済口証文 柏原筑後岩村田問屋名主役人立会人より評定所宛信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1763宝暦十三年古書類書付写篠澤佐五右衛門より篠澤佐五八宛信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1763宝暦十三年八月先祖より伝えられた書物を岩村田西念寺の寺弟子の悪流長老に表具に頼んだところ清左衛門が見たものか、他村にて右書物は相違している旨を申された由、来来返気の毒であるから清左衛門を召し出されて吟味願いたく佐五右衛門より役所宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1770明和七年十月前々御帳外者兼欠落者書上帳岩村田町名主役人より役所宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1770明和七年八月村々数年カサネヲ助成可相成手段被イ卯渡書。村々にて数年収納之際租麦の一部を貯蔵しておき火難水難等の困窮百姓助成になるよう指導書※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1771明和八年十月十五日福島鳥羽太夫より神職向当方へ引取拙宅にて万事取きめ調達するゆえよろしく願いたく挨拶状 西村へ八郎太夫より篠澤佐五右衛門宛信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1772明和九年二月二十三日岩村田町卯天銭書上帳※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1774安永三年八月御仕送金借用証文※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1776安永五年六月五日岩村田祇園祭礼狂言の事で荒宿大宿異論となり公裁により祇園が取りやめになったが当年は殿様も在村であるので立入人、立入和解内情となる岩村田間や名主役人より荒宿名主役人宛※信州佐久岩村田割元(本)篠澤家文書。

■1781天明元年閏五岩村田祇園神事祭礼に横根村猿久保(窪)村立入あり和談となる岩村田町惣役人役所宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1784天明四年十月龍雲寺の表大門は東西の側に田畑多く所持の百姓衆耕作の作場のようになっている物騒で困るので境内の内の内表大門の脇に歩行道をあけたい願書岩村田龍雲寺より役所※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1784天明四年八月信州佐久郡岩村田町宗門人別御改帳禅宗龍雲寺四冊之内壱※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1784天明四年十一月八幡宮神田上米代金年貢作徳未代金神主預りの積立金二百三十八両余は親筑後代より不如意にて家内へ遺込み表面ばかり勘定とはなるので家屋敷田地全部差出して勘弁願処家屋敷は残してもらったので自分すべて郷中のお取り計らいに従うこと。神主隠岐より問屋名主役人宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1785天明五年八月。村人死人書留帳岩村田宗門帳減人資料名主※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1787天明八年四月永代売渡申御道者師職式前書之事。御檀所信濃国佐久(野)郡総村数百五十一ケ総家数一万千百二十軒の持分三百両にて売り渡す証文福島主膳より西村八郎太夫信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1789寛政元年四月二十八日江戸出役入用五給大積割合帳 信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■1789寛政元年五月西念寺円満寺五穀成就御礼御初穂帳御領分二十六ケ村 信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■1789寛政 ??? 盗賊入用請取書外一束信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■1788天明八年十二月 盗賊一件請入用割合帳岩村田割本佐五右衛門より猿久保村外十九ケ村宛 信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■1789寛政元年七月盗賊取締、造酒右衛門掛合一件御領分割合帳岩村田割本佐五右衛門信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■1790寛政二年十一月十八日佐久郡岩村田小三郎妹いくを改めたところ節ずれ等の庇は無い事を書付にて差上げる名主役人より役所宛

■1791寛政三年二月岩村田町成夫銭書上帳※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1791寛政三年九月十四日御土蔵普請諸入用帳岩村田佐五右衛門※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1791寛政三年六月二十四日盗賊入用割合帳岩村田佐五右衛門より下平尾村ほか十八村ケ名主宛。信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■1791寛政三年十二月十七日盗賊諸入用割合帳岩村田佐五右衛門猿久保村清九郎より岩村田外二十ケ村名主宛

■1793寛政五年御吉凶其外御領中御取計方重立候儀書大概自寛政五年正月元日至享和四年十二月二十日後閑元吉望月文司信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1793寛政五年二月到着.戸倉十郎左衛門より割本、問屋、御役人中宛.八月十五日付手紙来訪して祝儀として樽肴頂戴礼状.包紙は福岳大陽氏より篠澤佐五右衛門宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1794寛政六年六月六日御上屋舗御用飼葉藁延割合帳佐久岩村田割本篠澤佐五右衛門。

■1794寛政六年六月殿様御入国萬手口帳信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1795寛政七年五月二十一日当二十六日殿様御発駕ニ付人馬割合帳割本佐五右衛門信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1797寛政九年四月五日御発駕ニ付人馬割付帳信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1797寛政九年四月五日殿様被為遊御発駕候節人馬割付帳信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1797寛政九年閏七月大阪勤番御仲間面付帳善光寺東門町岩井屋権平より篠澤佐五右衛門出澤由次郎宛信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1798寛政十年三月二十七日岩村田鋳物師伝左衛門が鋳物商売につき真継能登守より免許されたので書付の写を上様に差上げたいとの事の由、名主総役人奥印して差上げた時の写信州佐久岩村田割本篠澤家文書。■

■1800寛政十二年六月十三日岩村田祇園祭礼華美になってきたが古来よりのしきたりに無いものは取りやめ練りの子供は絹布着用禁止、町の練り物は手軽にして神事練り物等ずいぶん省略いたすべし役所より岩村田惣役人宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1801享和元年五月二十三日御発駕之節人馬割合帳割本佐五右衛門 信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1801享和元年八月 明和八年西村八郎太夫へ金三百六十両にて売り渡した佐久郡川東村岩村田付惣担中この節買い戻してもらいありがたく子々孫々まで申し伝え忘却しないとの一札 福島鳥羽太夫より岩村田惣担中宛

■1807文政四年九月、更級一件返答。更科左門より借用の金子返情難混等左門より訴訟されたが困窮のため致し方ないので岩村田役人呼出横和百姓吉右衛門より評定所宛猿久保、市村の件※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1810文化七年十一月御領分郡割高改帳役所より御領分村村名主組頭宛信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1812文化九年小作証文之事佐惣次より更級左衛門宛信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1813文化十年五月十三日御参府人馬割合帳割本佐五右衛門 信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1814文化十一年三月御神領書付共二質置ニ相渡ニ申田地添書付之事。質置証文惣左衛門ほかより留右衛門宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1817文化十四年二月。当宿次郎兵衛江戸表豊前様江願書。助郷引合人馬出入宿料城押掛際代官早々取引差略望通町役人役所役人取り合わないので町役人困り本家へ願い出た嘆願書。元年寄次郎兵衛より本家役人宛岩村田町。※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1819文政二年八月信州佐久郡岩村田穢多人別帳堅帳※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1819文政二年閏四月岩村田役所宛申渡兼五町定書請印帳田用水取継申渡書百姓四百三十人連印※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1819文政二年十月吉日御愁訴小田井村岩村田前田原用水堰取継訴訟一件※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1821文政四年六月二十八日金銭出入諸用帳岩村田役元※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1821文政四年六月二十二日金銀出し入れ其升諸色支書留帳※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1821文政四年九月今里村一件返答書更科一件古証文之名前書割本職篠澤家文書(信州佐久岩村田)

■1822文政五年二月二十一日更科左門落着一件。※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1823文政六年三月吉日 自文政六年三月十六日迄嘉永四年十一月十九日篠澤晋平方真 信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■1825文政八年十一月尚平より差出候一札下書。小田井宿より岩村田前田原を相手用水蟹沢堰出入際尚平に不敬の事ありて一件落着不能となったので身分はどうなってもよいが部落百姓が救われるようにとりなし願い。尚平より龍雲寺隠居宛。※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1825文政八年十一月惣代より差出候書付。小田井宿より岩村田前田原を相手用水蟹沢堰出入際尚平に不敬の事ありて一件落着不能となったので願人六十六人者はどうなってもよいから一件手切のお裁許と尚平へとりなし願い書。岩村田町惣代六十六名より永平寺。哲丈大和尚宛。※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1826文政九年十二月十五日去面十二月割以後依当戌十二月十日迄二十四ケ村大割合天銭帳岩村田町割本晋平※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1828文政十一年六月岩村田村御貸付金拝借添証文※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1830文政十三年八月信州佐久郡岩村田町穢多人別帳※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1831天保二年五月十三日仙石讃岐守様御登御通行被遊当宿御泊被仰付御本陣相勤候節諸用書留帳篠澤佐五右衛門宛信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1833天保四年十二月二十六日極難之者拝借米貸付人別帳岩村田町役元※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1833天保四年三月吉日郷中酒御通清水屋多右衛門より岩村田篠澤佐五右衛門宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1836天保七年二月二十五日在府中万事諸願書付向O日記獨聞覚O帳同年四月九日迄信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1838天保九年十月より十二月。日記帖篠原呉一郎※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1839天保十年二月二十七日願書。書付奉願上候。高崎倉賀野へ賃馬稼許可願。馬宿は坂本宿だけでなく松井田宿にても泊まれる様にして欲しい。御影代官所七七ケ村牧野領分二十二ケ村より道中奉行へ願書。岩村田篠澤家蔵。

■1839天保十年三月出稼人別請人受印帳※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1845弘化二年四月出先人別引請連印帳。岩村田町へ出稼住居乃者は必ず引請人請書をとっておくこと岩村田町役宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1847享保十八年十一月吉日萬覚書 自享保二十年正月十六日至文政五年正月十六日篠澤佐五右衛門包淑

■1850嘉永三年正月吉日。三月19日依十二月27日篠澤包隆。割本職篠澤家文書(信州佐久岩村田割本篠澤家文書)

■1851嘉永四年十二月岩村田藩非常手当積殻帳。藩主より非常手当米の元立として籾五百俵支給されたので村々は毎年不足として積置非常用とする事岩村田他二十五ケ村※信州佐久岩村田割本篠澤家文書※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1851嘉永四年八月御領分非常御手当積穀帳雛形※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1853嘉永六年五月猿窪(猿久保)村の喜太郎相手取り新初切開地境出入一件内済証文 西念寺代名主猿窪村喜太郎より役所宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1853嘉永六年十月五日。出府道中日記篠澤佐五右衛門。※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1854嘉永七年八月信州佐久郡岩村田町宗門人別御改帳龍雲寺※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1854嘉永七年六月岩村田祇園祭禮につき厳しく申し渡条々役所より岩村田名主役人宛信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1855安政二年五月四日仙石讃岐守様御帰城ニ付御泊被遊万事控帳篠澤佐五右衛門宛信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1856宝暦九年十一月三日氏子を守護する社はすべて書き上げるべし 仁王社や諏訪社、神明社の三社は書き上げもれとなりこれは柏原対馬の支配ではなかったので脱漏した理由であり他の社人の持にすべきと存ずるところなり 名主、問屋、役人より役所あて信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■1858安政五年十二月十六日岩村田御年貢献金大割雑用其他目録帳篠澤佐五右衛門包隆※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1858安政五年八月信州佐久郡岩村田町宗門人別御改帳龍雲寺※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■1858安政五年三月十四日。出府二附萬瑞日記同月二十三日篠澤佐五右衛門包隆。割本職篠澤家文書(信州佐久岩村田)

■1866慶安二年二月二十六日慶安御触書 割本職篠澤家文書(信州佐久岩村田)天保八年写

■1872明治五年十月二十一日〜十一月三日の岩村田篠澤包実の懐中日誌。※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。



=====年代不明文献=========

■戌年四月十五日深谷遠江守様御差紙一条。呼出状。拝宛書。割本職篠澤家文書(信州佐久岩村田)

■盗賊一件入用当分割合帳岩村田割本より横帳信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■一、小諸城主前録。 二、徳川家に対する甲信諸士の連署起請文。 三、平原氏甲府にて誄せられし始末。年月不明信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■佐久郡岩村田宿えびすもり小太夫跡敷とりきめ届出ケ書雛形 信州佐久岩村田割本篠澤家文書。年代不詳

■申年六月四日六月十八日岩村田祇園祭礼九月二十二日明神祭につき飯料借用物についての仕末り書岩村田神主庄屋より両替七左衛門宛信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■社人の対馬は祖先柏原織部の親類かとのおたずねにつき、織部が神職をやめたときに内育の清九郎と申す者に苗字を与え柏原対馬と申し神職を行っているが墓所も一緒にしてほしいと申したが断った岩村田町織右衛門より役所宛.信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■卯年三月七日角石O門七郎左衛門不審につき吟味申し付べく両人田地家財等につき打ち合わせ安藤右衛門渡辺武左衛門より庄屋宛信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■四月五日先日手紙を差上げたが今に返事が来ないので委細が不明のところ今朝正Oの老母が来て迷惑しているが了簡を早くしらせてほしい春日村名主より岩村田問屋名主役人宛信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■年代不明四月八日岩村田龍雲寺と康国寺の隠居は同一人物か。二回も書状をもらったが吉十郎よりたずねていないので引き伸ばしにしたが吉十郎の聞くところによると、そこもとは康国寺の隠居に金を預けてあるとのこと。吉十郎の母が来るように吉十郎よりきかれているがあとは意味が不明問屋名主役人より春日村名主宛信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■住吉様御託宣信州佐久岩村田割本篠澤家文書。年不明

■岩村田の西念寺の七世称誉順可和尚履歴書。信州佐久岩村田割本篠澤家文書。年不明

■御上屋敷松食芳覚年月不明信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■雑書信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■御遷宮御金甫布。布片在中信州佐久岩村田割本篠澤家保管。年月不明

■本社棟札信州佐久岩村田割本篠澤家保管。年月不明

■十月一日家督相続の祝儀として金200疋おくられたことと祝祠に対する礼状御師福島鳥羽屋太夫より岩村田名主年寄宛弟兵助(鳥羽太夫と相続)信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■福島鳥羽太夫に不始末につき蟄居を命じ家督は弟兵助に相続させ御地檀家のご繁盛ご祈祷あい務めますゆえ宣言酒井貢外より篠澤佐五右衛門宛信州佐久岩村田割本篠澤家文書。※不始末とは金銭紛失事件で町内御札授与師K家が濡れ衣にて上田へ追放され、後に当地へ戻るが、激怒したT家は伊勢屋敷へ放火したという。

■正月十三日新年挨拶につき一、岸本十左衛門下向の節、世話になった礼。二、祈祷料五十疋到来の礼。福島鳥羽太夫より篠澤佐五右衛門宛信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■福島貢外より篠澤佐五右衛門宛本文不明年月不明信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■八月七日当地村中旦那名書帳面今明日中に塩名田丸山新左衛門へ届けます。篠澤源五衛門より高野山蓮花院使僧宛信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■子年十一月二十六日当年葺替につき宇宮諸入用分勘定書由次郎より佐五右衛門宛信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■手紙年月日不明折紙式文献信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■藤枝丹波守取次控文書手紙控折合信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■九月十九日福島鳥羽太夫里方請戻につき代表の者、伊勢へ参りかけ合い帰村したので廻文をもって知らせる猫又出金未納の村は早く届けるようにまた鳥羽太夫自信は当冬は檀まわりするとのこと岩村田佐五右衛門より与良ほか二十四ケ村宛 信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■篠澤家由緒書大久保久乃書

■申年九月百姓一党へ御法度の条々役所より岩村田割本、問屋組頭宛 信州佐久岩村田割元篠澤家文書。

■巳年七月十八日 中西平次右衛門の訴により伊賀守宅区にて寄り合いするので出頭すべし。日向守ほか三名伊勢山村竹田伝助ほか21名宛。※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■寅年五月 岩村田町役人より。諸商人、太物屋、小売穀屋、車屋、旅籠、諸職人、同庵稼者、髪結、銭湯、作方奉公人、材木、釘類、菓子類、指物屋、作り桑、等々公定値段申渡書。※信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■五月二十二日藤堂大学頭より酒井日向守宛。一筆致啓達候在所之物候之間戻子肩衣十令進覧之候描期向顔之時候恐皇謹言五月二十二日高次花押※信州佐久岩村田割本篠澤家文書巻物。

■六月二十四日将軍へ差上げた暑中見舞の礼状。松平右京太夫輝高より内藤美濃守宛※信州佐久岩村田割本篠澤家文書

■二月十九日内々の事件で出府されたよし首尾如何か心配しています。寿光院へは取次たのんでおいたから請書内外ともにたのんでください。愚寺の法類に天神節性的と申寮坊主がおり是へもたのんでまいったから内証の聞合せも心易くたのんでください小諸光岳寺応誉より年号不明岩村田西念寺宛信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■三月五日年号不明出入りの義不分明のところまたまた訴上さしあげのよし御苦労察しいります公事末落着でもまず帰郷犬?と総旦中も相談しております清光寺ほかより在府佐五右衛門宛信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■二月二十四日年代不詳龍雲寺からの書状拝見。御用にて衣屋善兵衛方へ来るようたまわりましたが拙O所化寮という学ぶ所にいるのででられないのでこちらへ来てもらいたいが御用の節は善兵衛方より人をつかいに寄越してください当方からも龍雲寺へ返事するようにたのみたいしだい増上寺玄通察察円より篠澤佐五右衛門宛信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■三月四日年代不明手紙 一、鉄砲証文のこと。二、龍雲寺察円の件。 三、御知行の件。四、金ニ両返金。 岩村田喜佐衛門ほかより江戸佐五右衛門ほか宛信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■なにごとも増上寺察円、玄通両僧よりこまごまきいてください。訴訟末落着にてもなにはともあれ一応帰国なさって皆で相談するのが最も良いと思います。龍雲寺より江戸の佐五右衛門宛信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。年月不明手紙 

■時に重要事項はない。ご家族、龍雲寺ともに別状ない帰る時に察円より返事もらってきてください。忙しいならば無用。龍雲寺より篠沢佐五右衛門宛年号不明二月二十八日 

■十一月二十一日年号不明高野町の往生院につき当山直末で願出られたがこのことは駄目である。その理由は先年岩村田西念寺の末でもなく勿論当山末でもないむね御地門中へ申し送った書状の押判別紙の通りであり往生院よりどんなにたのまれてもこのかた毛頭かまうことはできないむね往生院へも申し聞かしてある。九膳院外六寺院より斉藤佐一右衛門ほか一名宛信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■未年十二月十三日その支配ところの高野町の往生院が本寺がないので増上寺の末寺になりたいといってきたので願い通り末寺にしてやったから左様心得ろ増上寺役者寿光院経誉より斉藤佐市右衛門ほか一名宛信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■六月二十八日年代不明 岩村田西念寺、往生院本末出入につき往生院源七郎上京し対決したいと願書しているが遠国のことでもあり双方住持旦那大勢上京されるのは大義であるのでそちらでおのおの了簡によりよろしいようにとりあつかうのがよいとおもう。知恩院役者九勝院ほかより宝田寺ほか四ケ寺宛信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■三月五日年号不明 一、増上寺役者衆は訴上の件たまわり下さらぬ様子、当方早速打寄詮議したが決まらない。二、察円と相談されたよし察円からも龍雲寺へ細々手紙まいり龍雲寺にても心に掛け相談にのってもらっている。三、鉄砲改め証文、判形、年数は元禄二年のもので本書を差越します。四、上記をみなで相談したが決まらず公事未落着でも一応は帰られたほうが良いと思う。五、堂木、せき 普請人足等の件 中沢吉三郎ほか三名より篠沢佐五右衛門ほか三名宛 信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■戌年九月七日江戸路用其外割合覚廻状 八月八日から九月四日分 岩村田内佐五右衛門ほか一名より香坂村外九ケ村宛

■丑年四月二十五日このたび代官が替わるので受取られた代官衆へ御見舞なさるそうでしょうがその時はよくおたずねください。板倉頼母内上原判兵衛上原甚右衛門より篠澤佐五右衛門

■亥年十二月十七日 盗賊入用四給割合之内御領分より加金割帳佐後衛門清九郎 信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■勘定所より入会株場を新田に開発したいものがあったら申出るように廻文があったが我々は山役を納めて株をかりとってきたのだから重ねて新田開発の廻文があっても気持ちはかわらないから書き付けておく山本、軽井沢ほか三ケ村村より信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。年月不明

■亥年盗賊入用入用割覚 信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■亥年盗賊入用割合写岩村田与三郎殿方ニ而横帳 信州佐久岩村田割本職篠澤家文書。

■足利源義植公様御感状芦田常陸助様御感状年号不明信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■八月十三日信虎より長老宛。年号不明信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■酉年五月岩村田城主内藤美濃守人馬継方覚横帳信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■酉年五月十五日御先荷人馬割入世話人帳信州佐久岩村田割本篠澤家文書。

■村村諸役割高横帳信州佐久岩村田割本篠澤家文書。










( 2004/01/07 )

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